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川村勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川村 勇(かわむら いさむ、1927年昭和2年)11月14日 - 2013年平成25年)1月27日[1])は、日本洋画家。主に油彩画を描いた。独学で学び、画壇から離れて活動を続けたことから、「孤高の画家[2]」と称されることもある。

経歴

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1927年岩手県和賀郡湯田村(現在の和賀郡西和賀町)川尻に生まれる。1948年頃に画家を志して上京[3]1951年一線美術展入選。1960年香港大学から招かれ、2年間にわたって助手として従事。その後も、たびたびヨーロッパインドを旅しながら絵を学び、外遊は生涯で16回を数えた。1972年岩手県盛岡市に戻り、以降の制作拠点とする。1978年『市場にて』が日展入選。1979年『配給日』が日展入選。

2015年、盛岡市内の自宅で亡くなる。

西和賀町との関係

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西和賀町立川村美術館
西和賀町立川村デッサン館

小学校の授業で絵の課題が出た際、近所の医師、高橋北民の家族を描いたところ高橋から褒められたことが、画家を志したきっかけであった[4]。高橋はその後、湯田村長となり、上京すると川村のもとに立ち寄り支援したほか、1961年に川村が盛岡市内で個展を開いた際には、自費でバスを借りて村民を鑑賞に連れていくほどであった。

川村にとって、故郷の川尻に美術館を造ることが長年の夢であり、1985年10月21日には川村美術館が、1992年10月10日には川村デッサン館が町内に開館した。どちらも建設に要する費用は川村が負担し、町に寄贈のうえ、町が管理運営をする方式が採られている。

  • 西和賀町立 川村美術館
    • 岩手県和賀郡西和賀町上野々39地割190番地2

脚注

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  1. ^ 没年月日は、町立川村美術館に掲示されている訃告から引用
  2. ^ “「孤高の画家」を悼む”. 朝日新聞. (2013年4月5日) 
  3. ^ “洋画家・川村勇さん死去”. 朝日新聞. (2013年2月22日) 。ただし、「1947年」や「1949年」とする講演記録や報道もある。
  4. ^ “郷土を愛した孤高の画家”. 岩手日日新聞. (2013年5月11日) 

外部リンク

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