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川崎駅 (秋田県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川崎駅
駅跡地(2004年8月)
かわさき
Kawasaki
八郎潟 (1.9 km)
(1.0 km) 高校前
地図
所在地 秋田県南秋田郡八郎潟町川崎高田
北緯39度56分35.9秒 東経140度5分51.6秒 / 北緯39.943306度 東経140.097667度 / 39.943306; 140.097667座標: 北緯39度56分35.9秒 東経140度5分51.6秒 / 北緯39.943306度 東経140.097667度 / 39.943306; 140.097667
所属事業者 秋田中央交通
所属路線 秋田中央交通線
キロ程 1.9 km(八郎潟起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1950年昭和25年)1月20日
廃止年月日 1969年(昭和44年)7月11日
備考 秋田中央交通線廃線に伴い廃駅
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川崎駅(かわさきえき)は、秋田県南秋田郡八郎潟町川崎高田(開業時は旧・南秋田郡一日市町面潟川崎)にあった秋田中央交通秋田中央交通線(旧・五城目軌道)の廃駅)である。秋田中央交通線の廃線に伴い1969年(昭和44年)7月11日に廃駅となった。

歴史

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燃料費増加対策として会社の増資・路線の電化を行うことが決定した際に、地元出資者からの出資の条件として開設された駅であった[1]

年表

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駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[1]。ホームは線路の南側(五城目方面に向かって右手側)に存在した[1]転轍機を持たない棒線駅となっていた。

職員配置駅となっていた[3]。ホーム中央部分に待合所を有した[1][5]

駅周辺

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水田地帯を走る、当時未舗装であった県道との併用軌道区間の途中に位置した[6]

駅跡

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1999年(平成11年)時点では、土盛りのホームがほぼ完全な形で残存し、ホーム上にはの木も残されていた[7]。この時点で唯一の遺構と言える存在であった[7]。2000年(平成12年)時点でも同様で、待合所の土台も確認出来た[6]。秋田自動車道の建設に伴う工事での消失も心配された[6]が残存し、2007年(平成19年)5月時点でも同様であった[5]

また、当駅跡前後の線路跡は、1999年(平成11年)時点ではサイクリングロードや集落の間道などの舗装された道となっており[7]、2000年(平成12年)時点[6]、2007年(平成19年)5月時点でも同様であった[1][5]

隣の駅

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秋田中央交通
秋田中央交通線
八郎潟駅 - 川崎駅 - 高校前駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)では1950年(昭和25年)3月3日とする(223ページ)。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 書籍『新 消えた轍 3 東北』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2010年8月発行)6-7,21,23-24ページより。
  2. ^ a b 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介新潮社2008年6月発行)45ページより。
  3. ^ a b c 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)164ページより。
  4. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)223ページより。
  5. ^ a b c d 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)54-57ページより。
  6. ^ a b c d e 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2000年1月発行)84ページより。
  7. ^ a b c d 書籍『とうほく廃線紀行』(無明舎出版1999年12月発行)52ページより。

関連項目

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