川崎重工業硬式野球部
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チーム名(通称) | 川崎造船、川崎重工 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1920年 |
廃部 | 1982年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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監督 | 福本敏一(1982年活動停止時) |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 14回 |
最近の出場 | 1982年 |
最高成績 | ベスト4 |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | 5回 |
最近の出場 | 1970年 |
最高成績 | 準優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 2回 |
最近の出場 | 1982年 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
川崎重工業硬式野球部(かわさきじゅうこうぎょうこうしきやきゅうぶ)は、兵庫県神戸市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1982年に活動を停止した。
概要
[編集]1920年代から活動していた古参チームで、戦前から都市対抗野球大会に出場していた。戦後は1950年代に全盛期を迎えたがその後低迷、1961年には会社の事情で1年間休部[1]、1980年代初頭に回復のきざしはあったが、1982年で活動を停止した。
設立・沿革
[編集]主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場14回[1]
- 日本産業対抗野球大会 - 出場5回
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場2回
主な出身プロ野球選手
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 木村富士夫 - 法政大学で六大学ベストナイン。
- 橘谷健 - 第41回都市対抗野球大会で、三菱重工神戸に補強されて出場、久慈賞受賞。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『サンデー毎日』1982年都市対抗記念増刊号
- JABAデジタルミュージアム