川崎映画劇場
川崎映画劇場 ↓ 川崎スカイ劇場 Kawasaki Eiga Theatre Kawasaki Sky Theatre | |
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情報 | |
通称 |
川崎映劇 川崎スカイ 川崎グランド2 |
正式名称 | 川崎映画劇場 |
完成 | 1937年 |
開館 | 1937年 |
閉館 | 1987年 |
設備 | DOLBY STEREO |
用途 | 映画上映 |
運営 | 金美館本部 ⇒ 美須合名 ⇒ カワサキ・ミス ⇒ 美須興行 |
所在地 |
〒210-0013 神奈川県川崎市小川町80番地(現:同市川崎区小川町4番地1) |
最寄駅 | JR川崎駅、京急川崎駅 |
川崎映画劇場(かわさきえいがげきじょう、1937年春 開業 - 1987年 閉館)は、かつて存在した日本の映画館である。1970年代に川崎スカイ劇場(かわさきスカイげきじょう)、1983年に川崎グランド2(かわさきグランドツー)と改称した。「川崎映画街」、現在の「チネチッタ」の前身の1館である[1][2]。
データ
[編集]- 所在地:神奈川県川崎市小川町80番地
- 現在の同市川崎区小川町4-1の一部。現況はスターバックスコーヒーラ チッタデッラ店[3]。
略歴・概要
[編集]1936年(昭和11年)、東京市荒川区(現在の東京都荒川区)を拠点に映画街を形成していた美須鐄の金美館本部(のちのカワサキ・ミス、現在のチッタ エンタテイメント)が神奈川県川崎市に進出、同市小川町(現在の同市川崎区小川町)に川崎銀星座を開業[1][2]、同社は同館に隣接して、合計6館を建設して1937年(昭和12年)春には、「川崎映画街」を形成、そのうちの1館がこの川崎映画劇場である。これが現在のシネマコンプレックス「チネチッタ」の初期形態である[1]。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)4月15日、川崎大空襲で全焼、映画街がすべて崩壊する[1][2]。終戦直前の同年7月、同館を第1号として急造のバラックとして復興した銀星座が、終戦後の同年11月に本格的に改築して再開業したのに続いて新築し、川崎映画劇場も復興を果たす[2][4]。1947年(昭和22年)末までには、さらに3館が加わり、映画館は5館、実演の川崎花月劇場含めて6館の興行街「川崎映画街」が再スタートした[2]。1952年(昭和27年)の資料によれば、同館の当時の所在地は川崎市小川町80番地(現在の同市川崎区小川町4-1の一部)[5]、映画街の通りに南側に面するこの位置は、更地となって「ラ チッタデッラ」が建設されるまで変わらなかった[6][7][1]。
1970年代のある時期に、川崎スカイ劇場と名称を変更し、引き続き洋画を上映した[8]。
1983年(昭和58年)に従来の川崎グランド劇場を川崎グランド1と改称するにともない、川崎グランド2と改称した[9]。川崎スカラ座、川崎名画座、川崎銀星座、川崎ニュース劇場以外が、川崎グランド5までのナンバーが振られた[9]。
1987年(昭和62年)、映画街通りの北側地区(現在のチネグランデおよびビバーチェ)が全面立替されて、「チネチッタ」としてオープンするに伴い閉館、川崎映画劇場から川崎スカイ劇場にかけての歴史は幕を閉じた。現在、跡地はその後の再開発により2002年(平成14年)11月にオープンした、シネマコンプレックス「チネチッタ」を包含する複合施設「ラ チッタデッラ」の一角となっている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “かわさき区の宝物シート 銀映会 (川崎映画街)” (PDF). 川崎市. 2024年8月6日閲覧。
- ^ a b c d e 二宮公雄. “娯楽エリアの成立と商店街の発展” (PDF). 川崎市. 2010年11月10日閲覧。
- ^ “川崎 ラ チッタデッラ店”. スターバックスコーヒー ジャパン. 2019年8月12日閲覧。
- ^ 「川崎映畫街復興 十七日から蓋をあける」、神奈川新聞、1945年11月15日付。
- ^ 『映画年鑑 1952』、時事映画通信社、1952年、p.442.
- ^ 『映画年鑑 1956』、時事映画通信社、1956年、p.20.
- ^ 『映画年鑑 1960』、時事映画通信社、1960年、p.36.
- ^ 『映画年鑑 1983』、時事映画通信社、1983年、広告ページ。
- ^ a b 『映画年鑑 1984』、時事映画通信社、1984年、広告ページ。
関連項目
[編集]川崎日活 | 川崎東宝 | 川崎東映 | ||
ダンスホールオスカー | 川崎銀星座 | |||
川崎映画劇場 | ||||
川崎スカラ座 |