川島正幸
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長野県駒ヶ根市赤穂 |
生年月日 | 1959年6月14日(65歳) |
身長 体重 |
185 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1977年 ドラフト4位 |
初出場 | 1980年11月5日 |
最終出場 | 1983年10月18日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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川島 正幸(かわしま まさゆき、1959年6月14日 - )は、長野県駒ヶ根市[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。
来歴・人物
[編集]松商学園高校では1976年、2年生の時に控え選手ながら夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)でPL学園に惜敗[2]。1年上のチームメートに捕手の坂神隆広(日本ハム)がいた。翌1977年は一塁手として夏の甲子園に連続出場。1回戦で福井商に敗退[2]。
同年ドラフト4位でロッテ入団[1]、左の長距離打者として期待される。1980年11月には初の先発出場、同年と1981年にはジュニアオールスターにも出場した。1983年には開幕一軍入りを果たし、開幕第6戦で西武の東尾修からシーズン初打席初本塁打を放つ。同年は終盤の3試合に落合博満に代り先発出場するが、その後は出場機会に恵まれず、1984年限りで現役引退。引退後は実家が旅館経営、段ボール包装業、パチンコ店などを経営しているので手伝いをしていた。
現在は地元の中学生硬式野球、駒ケ根リトルシニア「ドリームス」の監督。
平成24年、全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)長野県幹事として活動。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1980 | ロッテ | 1 | 3 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .333 | .333 | .667 | 1.000 |
1983 | 21 | 27 | 24 | 2 | 5 | 0 | 0 | 1 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 5 | 0 | .208 | .296 | .333 | .630 | |
通算:2年 | 22 | 30 | 27 | 2 | 6 | 1 | 0 | 1 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 5 | 0 | .222 | .300 | .370 | .670 |
表彰
[編集]- イースタン・リーグ本塁打王:1回(1980年)
- イースタン・リーグ打点王:1回(1981年)
記録
[編集]- 初出場・初先発出場:1980年11月5日、対近鉄バファローズ前期13回戦(川崎球場)、8番・一塁手で先発出場
- 初安打・初打点:同上、5回裏に久保康生から適時二塁打
- 初本塁打:1983年4月18日、対西武ライオンズ2回戦(川崎球場)、9回裏に袴田英利の代打で出場、東尾修から2ラン
背番号
[編集]- 56(1978年 - 1982年)
- 38(1983年 - 1984年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 川島正幸 - NPB.jp 日本野球機構