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川島惟忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川島 惟忠
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天正7年12月27日1579年1月23日
別名 兵衛進
主君 三好長慶
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川島 惟忠(かわしま これただ、生年不明 - 天正7年12月27日1579年1月23日))は、戦国時代武将阿波国川島城主。三好家の一族、家臣。兵衛進。

生涯

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1572年元亀3年)に上桜城に居城していた篠原長房の討伐で功績を挙げ、阿波川島一帯二百貫を知行。川島城を築く。1579年天正7年)に脇城外の戦いで討死、子孫は備中まで逃れていったという[1]

惟忠死後、蜂須賀家政が阿波に入国し、川島城は家政の家臣・林能勝が城主となった。また川島城には惟忠が開基した真福寺がある[2]

脚注

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  1. ^ 平凡社,2000年『徳島県の地名』
  2. ^ 角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603