川勝長氏
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長19年(1614年) |
死没 | 貞享元年12月8日(1685年1月12日) |
別名 | 三左衛門、勘兵衛(通称) |
戒名 | 慈水(法名) |
墓所 | 東京都港区赤坂の法安寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家光→家綱→綱吉 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝重氏、母:村上信清の長女 |
兄弟 |
長氏、広恒、隆房、 隆尚、女子(牛込重忝室)、 女子(美濃部茂命室)、 女子(福嶋大夫家臣森種貫室) |
妻 | 正室:荒川重世の娘 |
子 | 広宣 |
川勝 長氏(かわかつ ながうじ)は、江戸時代前期の旗本。知氏系重氏流川勝家の2代当主。
生涯
[編集]慶長19年(1614年)、川勝重氏の嫡男として武蔵に生まれた。寛永5年(1628年)に16歳で初めて将軍徳川家光に拝謁した。寛永7年(1630年)大番に列し、後に蔵米を給わった。
寛永10年(1633年)2月7日、加増あって先の蔵米に替わって、下野国上三河領内に300石を給わった。明暦3年(1657年)9月3日、組頭に進み、万治元年(1658年)閏12月25日に蔵米200俵を加えられた。天和2年(1682年)5月21日、更に200俵を加増され、合わせて下野内300石、蔵米400俵の禄高となった。
貞享元年(1684年)7月26日、職を辞し小普請となり、同年12月8日、72歳で没した。家督は嫡男の広宣が継いだ。
参考文献
[編集]- 『寛永諸家系図伝(第14)』続群書類従完成会、1992年
- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
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