川勝将氏
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和2年(1616年) |
死没 | 寛文10年1月6日(1670年2月25日) |
別名 | 市郎右衛門(通称) |
戒名 | 意玄(法名) |
墓所 | 東京都文京区小石川の光岳寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝重氏、母:赤井忠家の娘 |
兄弟 |
将氏、赤井公久、某(作右衛門)、 女子(鈴木重氏室)、女子(田付景利室) |
妻 | 正室:松崎氏の娘 |
子 | 益氏 |
川勝 将氏(かわかつ まさうじ)は、江戸時代前期の旗本。継氏系重氏流川勝家の2代当主。
生涯
[編集]元和2年(1616年)、川勝重氏の嫡男として駿河に生まれた。寛永9年(1632年)より将軍徳川家光に仕え、小姓組に列した。慶安3年(1650年)9月3日、江戸城西の丸書院番となり、後に江戸城本城で仕えた。
承応2年(1653年)12月23日、父重氏の死去により、その家督(丹波・武蔵内700石)を継いだ。後に番を辞して、小普請となった。
寛文10年(1670年)1月6日、55歳で没した。家督は嫡男の益氏が継いだ。
参考文献
[編集]- 『寛永諸家系図伝(第14)』続群書類従完成会、1992年
- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
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