川上親賢
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川上 親賢(かわかみ ちかかた、生年不明 - 1911年〈明治44年〉4月23日[1])は、明治時代の官吏。
経歴
[編集]鹿児島県士族[1]。1877年(明治10年)一等少警部を拝命する[1]。のち陸軍に入り歩兵大尉に進み、1887年(明治20年)9月に後備役に編入した[2]。
その後、台湾総督府撫墾署技手、同署主事[3]、岐阜県養老郡長[4]、長野県更級郡長[5]などを歴任した。
のち同県下水内郡長在任中、飯山青年倶楽部総会の宴にて脳溢血を起こし死去した[6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 大植 1935, 1211頁.
- ^ 『陸軍歩兵大尉川上親賢退職ノ上後備軍躯員被命ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治20年9月28日。
- ^ 『台湾総督府撫墾署技手川上親賢任官ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治29年9月25日。
- ^ 『島根県隠岐島司阿坂多一朗外一名転任及川上親賢岐阜県養老郡長ニ被任ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治36年。
- ^ 『長野県更級郡長川上親賢外十一名官等陞叙ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治41年5月29日。
- ^ 大植 1935, 1211-1212頁.
参考文献
[編集]- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。