崔承祐
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崔承祐 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 최승우 |
漢字: | 崔承祐 |
発音: | チェ・スンウ |
崔 承祐(チェ・スンウ、朝鮮語: 최승우、- 935年)は新羅末期の文人。
人物
[編集]六頭品出身の官僚で、四六体の文集5巻を著述し、『餬本集』として編纂したとされるが、現存しない。「三国史記」と「東門線」に伝える「大見怠惰高麗王書」、「協奏明賢十秒時」と「東門線」に伝えている10数の7言律詩がある。
890年に唐に渡り、893年には礼部侍郎の楊渉の下にあるとき中国の科挙に及第した。その後も唐の藩鎮幕府に従事し、朝鮮に戻ると後百済の甄萱に文臣として仕え、927年に王建に檄書を送った。後百済は高麗によって 936年に滅亡したが、この時の檄書の文章の秀逸さは高麗においても評価され、後世に遺された。
崔致遠、崔彦撝とともに「一代三崔(일대삼최)」と並び称された。
参考文献
[編集]- 「アジア人物史 3」 集英社 2023年