崔基龍
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崔基龍 최기룡 | |
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所属政党 | 朝鮮労働党 |
称号 | 金日成勲章 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1990年4月 - 2014年3月 |
最高指導者 |
金日成(1948年 - 1994年) 金正日(1994年 - 2011年) 金正恩(2011年 - ) |
朝鮮労働党中央委員会委員候補 | |
在任期間 | 1990年1月 - 不明 |
慈江道人民委員会委員長 | |
在任期間 | 2001年9月 - 2011年12月 |
熙川工業大学学長 | |
在任期間 | 1999年11月 - 不明 |
その他の職歴 | |
教育相 (1998年9月 - 1999年5月) | |
政務院教育委員会委員長 (1989年6月 - 1997年) |
崔基龍 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 최기룡 |
漢字: | 崔基龍 |
発音: | チェ・ギリュン |
崔 基龍(チェ・ギリュン、朝鮮語: 최기룡)は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。朝鮮労働党中央委員会委員候補、慈江道人民委員会委員長、教育相、熙川工業大学学長などを歴任した。
経歴
[編集]出生地や生年月日は不明[1]。1985年に政務院高等教育部副部長に就任し[1]、1986年に金策工業総合大学副学長に転じた[1]。1987年に高等教育部第1副部長に任命され[1]、1988年に朝鮮科学技術連盟副委員長に就任した[1]。1989年に高等教育部部長に昇進し[1]、政務院教育委員会委員長を兼任した[1]。1990年1月に朝鮮労働党中央委員会委員候補に[1]、同年4月に最高人民会議第9期代議員に選出された[1]。同年7月には国家学位学職授与委員会副委員長に就任し[1]、1992年2月にに朝鮮科学技術連盟書記長に就任し[1]、同年4月に金日成勲章を受賞した[1]。金日成国家主席の特使として、1991年8月にネパール、1994年3月にシリアを訪問した[1]。1998年9月には教育相に任命され[1]、1999年5月まで務めた。同年11月より熙川工業大学学長に就き[1]、2001年9月に慈江道人民委員会委員長に転じた[1]。9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で、朝鮮労働党中央委員会委員候補に再選されたが[1][2]、2011年12月に慈江道人民委員会委員長を解任された。
脚注
[編集]参考サイト
[編集] 朝鮮民主主義人民共和国
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