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崔周鍾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
崔周鍾
生誕 1922年10月5日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道城津郡
死没 (1998-03-03) 1998年3月3日(75歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織 満州国軍
大韓民国陸軍
最終階級 少尉(満州国軍)
少将(韓国陸軍)
墓所 国立大田顕忠院将軍第1墓域72号
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崔 周鍾(チェ・ジュジョン、최주종)は、大韓民国軍人創氏改名による日本名白三賢三[1]

経歴

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咸鏡北道城津に生まれる。満州国陸軍軍官学校第3期予科卒業。陸軍士官学校第58期に留学。終戦後、新京保安司令部警備隊責任者[2]

1946年1月、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10010番)[3]。第1連隊の創設に参加し、勤務中隊(中隊長:張錫倫大尉)小隊長[4]。途中で退官[5]

朝鮮戦争が勃発すると中尉に復職して、第1対ゲリラ隊長として浦項付近の治安に任じる[6]釜山橋頭堡の戦いでは第3連隊第2大隊長として慶州の戦いに参加。1952年3月20日、第1師団第11連隊長(大領)[7]

1954年7月31日、陸軍政訓学校校長(初代)[8]。1957年、陸軍士官学校生徒隊長。1961年、第31師団長(准将)[9]5・16軍事クーデターに参加して国家再建最高会議最高委員、任少将[10]。同年11月、第8師団長。1965年、軍需基地司令官。1967年、陸軍戦闘発展司令官。1971年、大韓住宅公社総裁。

出典

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  1. ^ *久松公郎「韓国の同期生」『偕行』第257巻、偕行社、67頁、1972年11月。 
  2. ^ “중국인들 무자비한 한인보복살인 교민 자유 위해 보안사 설치-김홍일장군 권고따라 천신만고 끝에 귀국” (朝鮮語). 中央日報. (1982年11月29日). http://news.joins.com/article/1665699 2016年11月27日閲覧。 
  3. ^ 佐々木 1976, p. 85.
  4. ^ 佐々木 1976, p. 118.
  5. ^ 佐々木 1976, p. 438.
  6. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 下巻』、363頁。 
  7. ^ 對非正規戰史(1945~1960)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 221. 2018年9月23日閲覧。
  8. ^ 陸軍本部 編纂 (1956). 六・二五事變 後方戰史(人事篇). 陸軍本部軍史監室. p. 187 
  9. ^ 張昌国 (1983年4月22日). “(146)후방의 혁명진행” (朝鮮語). 中央日報. http://news.joins.com/article/1690194 2016年6月23日閲覧。 
  10. ^ 佐々木 1976, p. 439.

参考文献

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  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。 
  • 崔周鍾”. 国立大田顕忠院. 2016年6月23日閲覧。