島田城
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島田城 (名古屋市) | |
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島田城跡 | |
別名 | なし |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 斯波高経 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 牧長義 |
主な城主 | 牧虎蔵 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | なし |
指定文化財 | なし |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 県遺跡番号010064[1] |
再建造物 | なし |
位置 |
北緯35度7分10.4秒 東経136度58分27.7秒 / 北緯35.119556度 東経136.974361度 |
島田城(しまだじょう)は、尾張国愛知郡(現愛知県名古屋市天白区島田)にあった日本の城(平城)[2][3]。県遺跡番号010064として埋蔵文化財包蔵地になっている[1]。
歴史
[編集]室町時代初期、尾張・遠江・越前の守護斯波高経が鎌倉街道の要所となるこの地に築城した[4]。詳しい築城年は不明である[5]。室町時代末期、斯波義銀の従兄弟牧長義が小林城主となり、その出城として島田城を修理した[4]。
北には天白川、東には島田川が流れる。尾張志では、島田城の規模は東西約40間(約76メートル)、南北約100間(約182メートル)とされる[6][5]。
牧顕朝の子孫が代々城主をつとめ、牧義次・牧義汎・牧左近・牧虎蔵(牧野虎蔵[7])と続いていった[5]。江戸時代以降も、この地域に牧一族は住み続け、現在も牧姓が周辺に多い[8]。
現在はかつての中心部付近に牧神社が鎮座していて、私有地ではあるが立ち入りが可能となっている。土地区画整理が行われる前は濠や矢場が一部残っていた[3]。
所在地
[編集]ギャラリー
[編集]-
牧神社
(2023年12月) -
島田城の盛り土
(2023年12月)
参考文献
[編集]- 『尾張志』
- 『張州府志』
- 『天白の歴史』