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島根県立益田高等学校

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島根県立益田高等学校
地図北緯34度40分19.8秒 東経131度51分30.1秒 / 北緯34.672167度 東経131.858361度 / 34.672167; 131.858361座標: 北緯34度40分19.8秒 東経131度51分30.1秒 / 北緯34.672167度 東経131.858361度 / 34.672167; 131.858361
過去の名称 益田町立女子技芸学校
島根県益田実科高等女学校
島根県益田高等女学校
島根県立益田高等女学校
島根県立益田高等実業女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 島根県の旗 島根県
学区 全県学区
全国募集あり
設立年月日 1912年
共学・別学 男女共学
課程 全日制
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
理数科
学期 3学期制
学校コード D132220400307 ウィキデータを編集
高校コード 32127D
所在地 698-0017
島根県益田市七尾町1-17
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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島根県立益田高等学校(しまねけんりつますだこうとうがっこう、英称:Shimane Prefectural Masuda High School)は、島根県益田市にある公立の高等学校。通称「益高」(ますこう)。

概要

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歴史
1912年明治45年)に開校した「益田町立女子技芸学校」を前身とする。高等女学校を経て、1948年昭和23年)「島根県立益田高等学校」となった。
設置課程・学科
全日制課程
教育目標
「知性に富み、心身共に健やかで、自らの力で未来を切り拓く生徒を育てる。」
教育方針
  • 生徒一人ひとりの確かな学力を定着させ伸長させる。
  • 生徒一人ひとりの社会人としての資質を育てる。
  • 生徒一人ひとりの進路目標を確立させ、その実現を支援する。
校章
1953年(昭和28年)大塚均[1]が「高」の字を益田市の市章にちなんで図案化した。スクールカラーは古代紫。
校歌
1954年(昭和29年)に制定。作詞は佐藤春夫、作曲は信時潔による。歌詞は2番まであり、校名は歌詞に登場しない。
附属施設
  • いわみの記念館
  • 寄宿舎(七尾寮)

沿革

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技芸学校・高等女学校時代
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 益田尋常高等小学校(現・益田市立益田小学校)に「益田町立女子技芸学校」が併設される。
  • 1923年大正12年)4月9日 - 「益田町立島根県益田実科高等女学校」の設置が認可される。
  • 1927年昭和2年)4月1日 - 「益田町立島根県益田高等女学校」と改称(校名から「実科」を除く)。
  • 1934年(昭和9年)4月1日 - 県立移管により、実業学校令に基づく「島根県立益田高等実業女学校」となる。
    • 益田高等女学校は生徒募集を停止し、在校生の卒業と同時に廃止される。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 「島根県立益田高等女学校」()が発足。
新制高等学校

部活動

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野球部は1978年春(第50回)と1982年夏(第64回)に甲子園に出場している。

著名な出身者

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脚注

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  1. ^ 当時、島根県立津和野高等学校図工科の教諭で、その後郵政省郵便局切手室に技芸官として勤務。
  2. ^ 「授業中、高校が孤立 参院に豪雨被害続出」『日本経済新聞』昭和40年7月14日15面

関連項目

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外部リンク

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