島本仲道
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島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833年6月5日) - 明治26年(1893年)1月2日)は、明治時代の官僚、法律家である。通称は審次郎、号は北洲。
経歴
[編集]土佐藩士。土佐勤皇党に参加し終身刑の宣告を受けたが、戊辰戦争で伊予松山藩の征伐を命じられる。明治維新後、明治新政府で兵部省、司法省の官僚を歴任、江藤新平の右腕として近代日本国家の検察、警察、弁護士の機構制度の確立に尽力した。1873年、江藤の下野とともに司法省を退職し、東京と大阪に弁護士事務所を開く。
その後、自由民権運動に参加、1887年に保安条例で東京退去の処分を受けるも、明治憲法発布の恩赦で赦免された。1893年、心臓病のため卒去[2]。墓所は青山霊園立山墓地。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 加来耕三『明治大学を創った三人の男』時事通信出版局、2011年。
- 岸本隆巳『もはや堪忍成り難し : 自由民権秘史島本仲道と三浦半島の仲間たち』叢文社、2007年。
公職 | ||
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先代 (新設) |
警保頭 1872年 - 1873年 |
次代 河野敏鎌 |