長崎県立島原商業高等学校
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(島原商業高校から転送)
長崎県立島原商業高等学校 | |
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北緯32度47分27.2秒 東経130度21分53.5秒 / 北緯32.790889度 東経130.364861度座標: 北緯32度47分27.2秒 東経130度21分53.5秒 / 北緯32.790889度 東経130.364861度 | |
過去の名称 |
長崎県立島原商業学校 長崎県立島原工業学校 長崎県立島原商業学校(再) 長崎県立島原商業高等学校 長崎県立島原高等学校商業科・家庭科 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
学区 |
全県学区 全国募集あり(6名以内) |
校訓 | 礼節・友愛・創造 |
設立年月日 | 1941年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業科 情報処理科 家政科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D142210000444 |
高校コード | 42122H |
所在地 | 〒855-0036 |
長崎県島原市城内一丁目1213番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎県立島原商業高等学校(ながさきけんりつ しまばらしょうぎょう こうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Shimabara Commercial High School)は、長崎県島原市城内一丁目に所在する公立商業高等学校。略称は「島原商業」(しまばらしょうぎょう)、「島商」(しましょう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1941年(昭和16年)に開校した「長崎県立島原商業学校」を前身とする。太平洋戦争中には工業学校に転換した[1]が、戦後再び商業学校に戻る。1948年(昭和23年)の学制改革の際には現校名の「長崎県立島原商業高等学校」(新制高等学校)として発足するものの、間もなく長崎県立島原高等学校に統合され、同校の商業科・家庭科となる。1956年(昭和31年)に島原高等学校から分離し、再び現校名の「長崎県立島原商業高等学校」となった。2011年(平成23年)に創立70周年を迎えた。
- 校訓
- 「礼節・友愛・創造」
- スローガン
- 目指せ!日本一!真心あいさつ島商!
- 教育方針
- 和衷協同のもと、伝統ある校風の継承・発展に努め、誇り高く向上心盛んな活気溢れる学校をつくる。
- 師弟同行のもと、文武両道の修練に励み、心身ともに健康で豊かな教養を備えた人間を育てる。
- 全生寮教育
- 「如何なる状況の中でも身を処して誤らない行動の基準を集団(学校)生活の中で体得する」という教育方針に則って行われる研修合宿。
- 「全生寮」は合宿施設の名称。名前の由来は「他者とともに生き、他者をことで自分も生きる、全てが生きる」という「自他一如[2]の精神」によるもの。
- 1. 自己のうちに もてる全てを 発揮して 生きよう
- 1. 全ての 他の人を 生かそう
- 1. 全ての 人とともに 生きよう
- 教育目標
- 全生寮教育(上記参照)を通して「自他一如[2]の精神」を養い、知恵と勇気と行動力を備えた人間性豊かな人材を育成する。
- 商業(ビジネス)及び家庭に関する豊かな教養と,専門的知識・技能を兼ね備えた有為な人材の育成
- 人権に対する正しい理解と知識を深め,基本的人権を尊重する人材の育成
- 自主的な生活態度と,責任を重んじる人材の育成
- 文武両道を兼ね備えた、心身共に調和のとれた人材の育成
- 校章
この節の加筆が望まれています。 |
- 校歌
- 1956年(昭和31年)に制定。作詞は宮崎康平(詩人)[3]、作曲は森脇憲三(作曲家)[4]による。歌詞は3番まであり、1番には「山(雲仙岳)」、2番には「海」、3番には「歴史(島原城)」が織り込まれており、「真理の追究・文化の発展・自由の創造」が歌われている。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 3学科
- 商業科(商業に関する学科)
- ビジネスの基礎・基本の能力を身につけ,企業の活動や経済の仕組みを理解し,ビジネス社会で必要な知識と能力を養う。
- 情報処理科(商業に関する学科)
- 家政科(家庭に関する学科)
- 同窓会
- 「島商同窓会」と称しており、関東に支部(関東島商同窓会)を置く。2003年(平成15年)から、島商若手交流会「若っかもん[5]の会」を行っており、島原商業に限らず、島原半島の他の高校出身者も参加している。
沿革
[編集]- 旧・長崎県立島原商業学校
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 「長崎県立島原商業学校」が開校。第1回入学者は20名。校舎は島原高等女学校の旧校舎を利用。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 「長崎県立島原工業学校」に転換[1]。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 再び「長崎県立島原商業学校」に戻る。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、「長崎県立島原商業高等学校」(新制高等学校)が発足。
- 旧・長崎県立島原高等学校 商業科・家政科
- 1948年(昭和23年)11月 - 長崎県立島原高等学校(男子校)、長崎県立島原女子高等学校、長崎県立島原商業高等学校の3校が統合され、「長崎県立島原高等学校」となる。
- 1949年(昭和24年)
- 1955年(昭和30年)4月 - 有家、西有家、堂崎分校が分離・統合の上、長崎県立島原南高等学校として独立。
- 長崎県立島原商業高等学校
- 1956年(昭和31年)
- 4月1日 - 島原高等学校から商業科と家庭科が分離独立し、再び「長崎県立島原商業高等学校」(現校名)となる。
- 校舎は第二校舎(旧島原高等女学校校舎)を使用。学級数は1学年商業科10学級 家政科3学級 計13学級。
- 7月 - 校章を制定。
- 11月10日 - 開校記念式典を挙行、校歌を発表。
- 4月1日 - 島原高等学校から商業科と家庭科が分離独立し、再び「長崎県立島原商業高等学校」(現校名)となる。
- 1958年(昭和33年)12月1日 - 校旗制定式を挙行。
- 1960年(昭和35年)6月6日 - 旧高等女学校の寄宿舎を利用し、「全生寮教育」(集団生活指導・研修合宿)を開始。
- 1969年(昭和44年)10月26日 - 長崎国体において軟式庭球女子優勝、硬式庭球準優勝
- 1971年(昭和46年)8月8日 - 全国高等学校和文タイプ競技大会において優勝。
- 1973年(昭和48年)〜1977年(昭和52年) - 4年連続で、全国高等学校和文タイプ競技大会において優勝。
- 1977年(昭和52年)8月8日 - 全国高校総合体育大会サッカー大会で初優勝。
- 1978年(昭和53年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)8月11日 - 全国高等学校和文タイプ競技大会において優勝。
- 1985年(昭和60年)
- 1月8日 - 第63回全国高等学校サッカー選手権大会で初優勝。
- 3月8日 - 下足棟を新築。
- 1986年(昭和61年)
- 3月31日 中庭に語らいの広場を造成。
- 11月8日 - 玄関に校訓碑、中庭に優勝記念碑、全生寮碑を設置。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 軟式庭球コート4面工事を完成。
- 1989年(平成元年)
- 4月 - 情報処理科を新設。[7]
- 6月16日 - 駐輪場が完成。
- 1990年(平成2年)11月17日 - 雲仙普賢岳が噴火。
- 1991年(平成3年)〜1993年(平成5年) - 3年連続で全国簿記コンクール3等。
- 1997年(平成9年)10月27日 - 第52回なみはや国体(大阪府)男子ソフトテニス選抜において準優勝。
- 1998年(平成10年)4月- 国際経済科を新設。[7]
- 2006年(平成18年)- 創立50周年を迎える。
- 2011年(平成23年)- 国際経済科の募集を停止。
- 2013年(平成25年)3月31日 - 国際経済科[8]を廃止。
学校行事
[編集]- 1学期
- 4月 - 入学式、歓迎遠足、全生寮研修、資格試験(家庭科技術検定)
- 5月 - 生徒総会、家庭クラブ総会、PTA母の会総会、資格試験(家庭科技術検定)
- 6月 - 長崎県高等学校総合体育大会(通称:県高総体)、全生寮研修、資格試験(全商珠算、電卓検定、全商簿記検定、家庭科技術検定、実用英検、漢字検定)
- 7月
- 8月
- 2学期
- 9月 - 体育大会(赤・青・黄・緑の4色に分かれて競う。よさこいなどもある)、資格試験(全商英語検定、県商簿記検定、全商情報処理検定)
- 10月 - 文化祭「清羅祭」、資格試験(家庭科技術検定)
- 11月
- 生徒会役員選挙、マラソン大会(男子10km、女子6km)、島商まちなか文化祭(校外(島原市商店街)での文化祭)、資格試験(全商珠算、電卓検定、日商簿記検定、全商ワープロ検定、家庭科技術検定)
- 12月 - 課題研究発表会(3年生課題研究12講座の授業での成果を発表)、クラスマッチ、修学旅行、3年生商業科による販売実習「うまかもん[10]市」、資格試験(県商電卓検定)
- 3学期
- 1月 - 資格試験(全商簿記検定、全商情報処理検定)
- 2月
- 企業見学会(家政科)、雲仙百年の森づくりの会 高校生卒業記念育樹植樹[11]、資格試験(全商パソコンスピード入力認定検定、全商商業経済検定、日商簿記検定、漢字検定)
- 3月 - 卒業式(同窓会入会式)、クラスマッチ
部活動
[編集]- 運動部
- 剣道部
- 弓道部
- テニス部(硬式)
- 陸上部
- バスケットボール部(女子)
- バレーボール部(男子・女子)
- ソフトテニス部(男子・女子)- 県内強豪校として知られ、かつては長崎国体成年女子で優勝した。
- サッカー部(男子・女子)- 男子サッカー部は古豪[12]として知られ、インターハイや全国高校サッカー選手権で優勝経験がある。
- 文化部
- 美術部
- 書道部
- 茶道部
- 家政部
- バトントワリング部
- 理学部
- 図書部
- ワープロ部 - ワープロ部は全国高等学校和文タイプ競技大会で過去8回の優勝実績がある(上記沿革を参考)。
- 情報処理部 - 国家試験である「ITパスポート」をはじめとする情報処理関係の資格・検定に力を入れている。
- デパート部 - 島原商業では購買部のことをデパートと呼び、昼休みのパン・ジュース販売、放課後の帳簿記入を活動の中心としている。
- 視聴覚部 - 校内放送や体育大会や文化祭の司会進行などを行う。
- 吹奏楽部
- 商業部 - 「島原半島ジオパーク」と島原の活性化について調査・研究を行う。
学校間の連携
[編集]- 「学校間連携制度」
- 教員組織、施設、設備等の関係で自校で開設が困難な科目を、他校の科目を履修することで、その学習成果を自校の科目の単位として認める制度で、「資格取得が可能」・「授業を通して他校の生徒と交流が持てる」というメリットがある。毎週、特定の曜日・時限に連携の授業が2時間行われており、以下の連携校4校は互いに所在地が近いので、休み時間に移動し、各校の授業を受けることとなる。
- 長崎県立島原高等学校 - 倫理、英語ライティング、数学B(全日制課程)、書道(定時制課程)
- 長崎県立島原農業高等学校 - 生物工学基礎、動物基礎、食品加工
- 長崎県立島原工業高等学校 - 工業基礎を受講し「計算技術検定3級」と「情報技術検定3級」の資格取得が可能。
- 長崎県立島原商業高等学校
- 教員組織、施設、設備等の関係で自校で開設が困難な科目を、他校の科目を履修することで、その学習成果を自校の科目の単位として認める制度で、「資格取得が可能」・「授業を通して他校の生徒と交流が持てる」というメリットがある。毎週、特定の曜日・時限に連携の授業が2時間行われており、以下の連携校4校は互いに所在地が近いので、休み時間に移動し、各校の授業を受けることとなる。
- 簿記、情報処理、文書処理を受講し、それぞれ簿記検定3・4級、情報処理検定ビジネス情報部門2・3級、ワープロ検定3・4級の資格取得が可能。
開かれた学校・地域との交流
[編集]- 地域開放講座 - 地域住民対象に英会話教室やパソコン教室等を開講している。
- 文化祭「清羅祭」
- 2日間に渡って行われ、1日目は各クラスの発表、展示や販売、2日目は学校の近くにある島原文化会館において文化部発表や家政科のファッションショー等が行われる。
- 島商まちなか文化祭
- 校外、島原市商店街での文化祭で、「島商ップ[13]」での販売実習や文化系部活動の講演会・発表会・展示会が行われる。
- 島商ップは、課題研究の中の1講座である「空き店舗の活用」における活動の一環で毎年9月~12月の期間限定で、島原市商店街に開店する。
- リサイクル・ボランティア活動
- プルタグ、ペットボトルキャップの回収を行い、地元社会福祉協議会等への車椅子の寄付、発展途上国へのワクチン寄付の一助となっている。
- 地域イベントへの参加
- 課題研究の実用化
進路
[編集]- 進学 - 四年制大学、短期大学、看護学校、専門学校(医療・リハビリ系、福祉系、調理系、デザイン系、美容系など)
- 就職
著名な出身者
[編集]- 小嶺忠敏(長崎総合科学大学付属高校・総監督)
- 坪田和美(元サッカー選手)
- 中村重和(サッカー指導者)
- 小林伸二(ギラヴァンツ北九州監督・インターハイ優勝メンバー)
- 勝矢寿延(元サッカー選手)
- 植村修一(元サッカー選手)
- 中村真人(サッカー選手)
- 吉田昭義(元サッカー選手)
アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 島鉄バス - 「文化会館」、「大手」、「浦ノ川」バス停
- 最寄りの道路
- 国道251号(島原街道)
- 長崎県道58号愛野島原線
- 長崎県道202号野田島原線
周辺
[編集]歴史建築・資料館
官公署・郵便局
- 島原市役所
- 島原振興局
- 島原江戸町郵便局
学校
文化施設
- 島原図書館
- 島原文化会館
企業
- 九州電力島原営業所
脚注
[編集]- ^ a b 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(1943年(昭和18年)10月12日閣議決定)により、県立商業学校(佐世保・諫早・島原)と佐世保市立商業学校を工業学校に転換した。
- ^ a b 読みは「じたいちにょ」。仏教の教えで、「自分と他者は一体(同じ)である」、つまり「他と共に生き、他を生かすことで自分も生きる」という意味で用いられる。
- ^ みやざきこうへい。、1917年(大正6年)~1980年(昭和55年)。島原市出身の詩人。島原高校、島原工業高校、島原農業高校、国見高校、小浜高校、旧有馬商業高校の校歌の作詞にもあたった。
- ^ もりわきけんぞう。1916年(大正5年)〜1996年(平成8年)。北松西高校の校歌の作曲にもあたった。
- ^ 読みは「わっかもん」。方言で「若い者」「若者」という意味。
- ^ 1947年(昭和22年)の学制改革(六・三制の実施)により暫定的に併設された新制の中学校。旧制中等教育学校(旧制中学校・高等女学校・商業学校等)の1947年(昭和22年)時点で2・3年生であった生徒を収容。1949年(昭和24年)3月に最後の卒業生を送り出し廃止された。
- ^ a b 地域と連携した課題研究の実践(2005年(平成17年度)長崎県立島原商業高等学校) (PDF) - 実教出版ウェブサイト
- ^ 2年次より国際コースと経済コースの2コースに分かれていた。「国際コース」では外国語を中心に学び、少人数クラスでのティームティーチングを行い,英語や中国語での会話能力を身につけることを目的としていた。また「経済コース」では社会で即戦力となるために商業分野を中心に学習し、グローバル社会に対応できるように,ビジネスマナーや経済分野の知識、パソコンの技術を身につけることを目的としていた。
- ^ Assistant Language Teacher(言語指導助手)の略。
- ^ 方言で「うまいもの」、「おいしいもの」という意味。
- ^ 島原半島中の高校3年生が集い、記念植樹を行う。
- ^ 読み「こごう」、意味は「競技などで、経験が豊富で力のある人や集団」。
- ^ 読みは「しましょっぷ」。学校の略称「島商」と店のショップを組み合わせてネーミングされた。
- ^ 読みは「しらぬい」、九州の有明海や八代海で、夜間に無数の光が明滅する現象。漁船の漁火(いさりび)が異常屈折によって光像を作るために起こるといわれている。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 長崎県立島原商業高等学校
- 平成24年度ハイスクールガイダンス (PDF) - 長崎県教育委員会ウェブサイト