島内武重
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島内 武重(嶋内、しまのうち たけしげ、安政4年9月(1857年)[1] - 1893年(明治26年)1月22日[1])は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴・人物
[編集]郷士・島内茂久治(のち武金)の長男として土佐国香美郡物部村上岡(現・香美市物部町上岡)に生まれる[1]。慶応2年(1866年)から1875年(明治8年)に掛けて、吉本寿玄、下司重成、田宮悦之らより和漢洋の学問を学ぶ[1]。
1876年(明治9年)より各地の戸長、学区取締を務め、1883年(明治16年)野市村に夜学・協力心会を開設し、自由民権運動に参加する[1]。1886年(明治19年)の物部川堤防事件に際しては、香美郡連合村会議員に当選し活動した[1]。ほか、1888年(明治21年)上岡の夜学・青翠会会長、黒住教高知大教会農商部設立の会心社頭取、農益商会頭取などを歴任し、布教と殖産に努めた[1]。
1888年(明治21年)民権派議員として高知県会議員に地元の香美郡より当選[1]。さらに、1890年(明治23年)第1回多額納税者議員選挙に互選され[1]、同年9月29日、貴族院議員に就任した[2]。1893年(明治26年)1月22日、病没した[1]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854。