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岸田光太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岸田 光太郎(きしだ こうたろう、1872年明治5年〉4月[1] - 没年不明)は、台湾基隆に居住した日本人で、材木商人。岸田材木店創業者[2]

政治家の岸田文雄宮澤洋一の曽祖叔父。岸田幾太郎は兄、岸田正記岸田正次郎は甥にあたる。

経歴

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岸田忠次郎の三男として広島県賀茂郡西志知村(現東広島市)に生まれる[1]。岸田家は代々農業を営んでいた[1]。郷里の小学校に入って普通学を修め、父業を助けて郷里に暮らす[1]

日清戦争が終結し台湾が日本の領土に属すると、1897年(明治30年)3月に兄と共に台湾へ渡り、基隆市にて材木商を開業した[1]。同商店の開業当時は微々たる一商舗に過ぎなかったが、後に基隆屈指の材木商となった[1]

『商工資産信用録 第30回 台湾・朝鮮・満洲・外国人』によると、岸田光太郎(調査年月・1929年2月)は「正身身代・R、信用程度・B、職業・材木」である[3]

家族・親族

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岸田家
  • 曽祖父:岸田直五郎 - 農業、新出屋初代当主
  • 祖父:岸田柳平 - 農業、新出屋二代目当主
  • 父:岸田忠次郎 - 農業、新出屋三代目当主
  • 母:岸田さみ
    • 兄:幾太郎(1867 - 1908) - 実業家
      • 甥:正記[4](1895 - 1961) - 幾太郎長男、大連幾久屋百貨店主、実業家、政治家[4]
        • 大甥:文武[4](1926 - 1992) - 通産官僚、政治家
      • 甥:正次郎(1897 - 1979年) - 実業家、幾久屋百貨店を経営。
  • 妻:タス(広島、岡田彦太郎の長女)[5][4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』き45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月30日閲覧。
  2. ^ 『台湾年鑑-第4部-』成文出版社、1985年。 
  3. ^ 『商工資産信用録 第30回 台湾・朝鮮・満洲・外国人』台湾き之部49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月10日閲覧。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第9版』キ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年10月2日閲覧。
  5. ^ 岸田正記 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年9月30日閲覧。
  6. ^ 中国新聞デジタル. “岸田首相の親族、連なる政治家たち 祖父・父・宮沢喜一元首相…”. 中国新聞デジタル. 2021年10月5日閲覧。
  7. ^ a b 『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年〜) <6> 喪失”. ヒロシマ平和メディアセンター. 2021年10月5日閲覧。
  8. ^ 被爆者・サーロー節子さん、遠戚の岸田首相に手紙”. Pars Today (2021年10月4日). 2021年10月5日閲覧。

参考文献

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  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 『商工資産信用録 第30回 台湾・朝鮮・満洲・外国人』商業興信所、1929年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。