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岸本知弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岸本知弘_上半身写真

岸本 知弘(きしもと ともひろ、1974年8月12日 - )は、日本の歯科医師

京都府京都市北区で きしもと歯科医院 を開業。

来歴

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京都府京都市左京区生まれ。

京都市立紫野高等学校全日制普通科卒業後、愛知県名古屋市にある河合塾千種校に入学。生物学の知識のみをマニアックに深め、愛知学院大学歯学部歯学科に得意科目入試制度で入学。同校卒業後は京都市伏見区の歯科医院に勤務。

2007年2月3日に きしもと歯科医院 を開業。

2008年6月に日本歯科医師会、京都府歯科医師会、京都府歯科医師会北支部[1]に入会。

人物

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高校生時代の所属クラブは放送局に在籍。技術部員として音響ミキシング等を担当。NHKコンクール全国大会へは3年連続で出場。その他、地学部にも在籍していた。

河合塾千種校時代の友人とは今でもFacebook等で連絡を取り合っている。

大学生時代の所属クラブは公衆歯科衛生研究会(略称:公歯研)。大学3年生・4年生時に部長を務め、榊原悠紀田郎に出会う。

2000年にSCP(スチューデント・クリニシャン・プログラム)[2]日本代表選抜大会に出場。同年シカゴで開催された米国歯科医師会(ADA)主催のSCP大会に参加。同窓会組織である SCADA および SCADA-Japan のメンバーとは現在も交流が続いている。

全国の野天風呂を巡っていた頃に、静岡県浜松市にある「談味酒家ふとっぱら」に出逢う。毎週のように通っていた時期もあり、当時の大将に「将来、色んなところでココよりも立派なものを食すことになるだろうが、それを味わう味覚が育ってなければ十分に楽しむことが出来ない。魚の本質、芋焼酎の本質を体感させてやる」として、ここで芋焼酎のイロハと魚の味わい方を教わる。

敬愛する人物は、本田宗一郎スティーブ・ジョブス。よって自動車は本田技研工業製品、パソコンはApple製品のみを愛用。

最初に所有した自動車はcivic EK型VTi。初年度で4万キロを走破し、最終走行距離は30万キロを優に超えた。

最初に所有したアップル製品はcentris 660AV。この機種とアナログモデムを使用して最初のホームページを制作[3]

「日本人なんだから日本酒が解るようになろう」という想いから日本酒を味わうようになり、その奥の深さに感激。最近は(夏でも)燗酒が旨いと感じるようになった。30年物の日本酒を味わったときは酒の神髄を垣間見たという。

「京都に住んでるんだから地元の酒を」という想いからサントリー山崎蒸留所を訪ね、その奥の深さに感激。以来、宴会等でウィスキーを嗜むことが出来るようになった。

社会人になるまでの座右の銘は「ぼちぼちいこか」だったが、さすがに社会人になっても同じではボンヤリしてしまう、と感じ、最近は単年度毎に目標[4]を持つようになった。

役職

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2009年4月〜2015年3月 京都市北区 1歳6ヶ月児健診 嘱託歯科医
2015年4月〜 京都教育大学附属小中学校 初等部中等部 学校歯科医
2009年4月〜2011年3月 京都府歯科医師会 公衆衛生部 委員
2011年4月〜2013年6月 京都府歯科医師会 公衆衛生部 部員
2013年7月〜2015年6月 京都府歯科医師会 公衆衛生部 委員長
2015年7月〜 京都府歯科医師会 公衆衛生担当理事

外部リンク

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きしもと歯科医院

日本歯科医師会

京都府歯科医師会

SCADA-Japan

脚注

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  1. ^ 公益法人制度改革により平成25年に京都市北歯科医師会へ移行。
  2. ^ 現在はSCRP(スチューデント・クリニシャン・リサーチ・プログラム)として開催されている。SCRPの参加者は、大学代表としての名誉と研究活動を行う充実感を味わいながら、全国レベルそして優勝者として国際レベルでの歯科学生との交流を深めることができる。
  3. ^ 当時はまだホームページ作成キットやマニュアル本などは無く、So-netの技術者と電話でやり取りしながらタグ打ちで作成。この時の経験が現在も随所で生きている。
  4. ^ ちなみに2016年の目標は勇往邁進。