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岸幹太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岸 幹太郎(きし かんたろう、1860年万延元年) -1914年大正3年)3月31日[1])は、徳川家理事、家令日本銀行員及び横浜正金銀行員。[2]

父は和歌山県会議員を務めた岸 新作、弟は芝浦製作所(現:東芝)で常務取締役を務めた岸 敬二郎。[3]

経歴

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紀州侯爵徳川頼倫家令紀州藩の碩儒(学者)。自修舎を経て1881年(明治14年)慶應義塾を卒業。

慶應義塾幼稚舎教授となり、1891年(明治24年)に日本銀行入行。1897年(明治30年)、横浜正金銀行入行。徳川家の顧問役および指南役として家令の職を奉ずる。[2]

参考文献

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脚注

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  1. ^ 大竹武吉 編『工學博士岸敬二郎傳』岸敬二郎君伝記編纂会、1931年(昭和6年)3月4日、3頁。 
  2. ^ a b 三田商業研究会 編『慶應義塾出身名流列伝(国立国会図書館デジタルコレクション)』実業之世界社、1909年6月15日、809-810頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7777152022年2月25日閲覧 
  3. ^ 中部のエネルギーを築いた人々 日本碍子創設の契機となった芝浦製作所常務 岸 敬二郎 の説得”. 日本電気協会 中部支部. 2022年2月25日閲覧。