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岸原重治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岸原 重治(きしはら しげはる、1878年9月 - 没年不詳)は、日本の電気技術者実業家官営八幡製鐵所の草創期から電気技師を務め、鉄鋼電気技術の基礎を築いた。

経歴

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福岡県士族岸原義路の長男として生まれる[1]。1896年福岡県立尋常中学修猷館[2]、1899年7月第五高等学校工科[3]を経て、1903年7月京都帝国大学理工科大学電気工学科を卒業[4]

1905年、創立間もない官営八幡製鐵所の電気工事嘱託となり、1909年技師に任ぜられる。1910年に開設された、青少年未経験工の技術教育を行う「製鉄所幼年職工養成所」の教科書編纂委員を命ぜられ、「電気学大意」を作成した[5]。その後、工務部電気科長を経て[6]、1923年動力部長に就任。1931年退任する[1]。その後、昭和製鋼所取締役を経て、顧問となる[7]

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録第12版』(人事興信所、1939年) キ-74頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員2頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)190頁
  4. ^ 『京都帝国大学一覧(自大正14年至大正15年)』(京都帝国大学、1926年)卒業生姓名573頁
  5. ^ 飯田賢一『近代鉄鋼技術の発展と労働力』(国際連合大学、1981年)34頁
  6. ^ 長島修『官営八幡製鐵所論 国家資本の経営史』(日本経済評論社、2012年)348-349頁
  7. ^ 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年) キ-59頁