岩﨑達郎
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市瀬谷区 |
生年月日 | 1984年12月28日(39歳) |
身長 体重 |
175 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目 |
初出場 | 2008年6月22日 |
最終出場 | 2017年8月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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岩﨑 達郎(いわさき たつろう、1984年12月28日 - )は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]横浜商科大学高等学校から社会人野球の新日本石油ENEOSへ進み第76回都市対抗野球大会に補強選手で出場[1]。田澤純一は高校、社会人の2年後輩。
二塁手・遊撃手の守備を評価され、2006年の大学・社会人ドラフトで中日ドラゴンズに5巡目で指名された。プロ入り以降は守備の人のイメージが強いが、高校通算41本塁打を記録している。
第1次中日時代
[編集]2007年は、レギュラーシーズンでは一軍昇格は無かったものの、正遊撃手の井端弘和がシリーズ前にケガをし、状態に不安があるため、バックアップとしてクライマックスシリーズ第1ステージを前にした10月13日に、初の一軍昇格を果たした。10月18日の同クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦(巨人戦)の8回に新井良太の代走として一軍戦初出場し、初得点も記録している。
2008年は開幕を二軍で迎えたが、6月17日に井端弘和の故障によりシーズン初の一軍登録。その後井端の復帰で登録抹消されたが、8月に荒木雅博が北京五輪へ出場するために再び一軍昇格。荒木のチーム合流で抹消されるも井端が再び怪我をしたためわずか5日で再び一軍に昇格した[2]。その後、井端の復帰で再び抹消されるもシーズン終盤に再び一軍登録されて一軍と二軍を4度も往復した。
2009年から2012年まで春季キャンプでは井端が目の異常で離脱した影響もあり、監督の落合博満から直々にノックを受けた。オープン戦では遊撃手や二塁手として出場し、適時打を放つなど課題である打撃面でも着実に成長が見られ、初の開幕一軍入りを果たす。
2010年9月1日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)で大島崇行からプロ入り初本塁打となるサヨナラ2点本塁打を放った[3]。また、このシーズンは開幕から一軍に帯同し続けた。
2011年9月、4歳年下の一般女性と結婚。出場試合数こそ減少したもののスタメン起用が増え、打率も自己最高の.218を記録した。しかしその後離婚。子供の親権は元妻にある。
楽天時代
[編集]2013年3月11日、東北楽天ゴールデンイーグルスへの金銭トレードが発表された[4][5]。公式発表の約1週間前にトレードの報道がなされ、中日監督の高木守道や球団社長もそれを認めた[6]ため、楽天監督の星野仙一から「順番が違う」と苦言を呈された[7]。岩﨑本人は楽天からのトレードのオファーをコーチから聞き「勝負したい」と答えるなど移籍に前向きであった[8]。楽天での背番号は「67」に決まった。6月27日の埼玉西武ライオンズ戦(県営大宮)で、プロ7年目にして初の3安打猛打賞を記録した[9]。
2016年には、一軍公式戦への出場機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[10]。12月2日、自由契約公示された[11]。
第2次中日時代
[編集]楽天からの戦力外通告後に、中日時代の一軍監督であった落合からの勧め[12]で、中日の秋季キャンプに参加した。参加中に入団テストを受けた結果、2016年11月25日に、育成選手として中日と契約することが球団から発表。5シーズン振りに中日へ復帰した。そして7月10日に支配下登録をされることとなった[13]。
2017年は1試合の出場に終わり、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。その後、12球団合同トライアウトを受けたものの、獲得の意思を示す球団は現れず、12月2日付で自由契約選手として公示された[14]。
引退後
[編集]2018年1月11日、東北楽天ゴールデンイーグルスから楽天イーグルスアカデミーのジュニアコーチに就任したことが発表された[15]。また、2018年8月12日の楽天対西武戦からJ SPORTSの野球解説者として活動する。
選手としての特徴・人物
[編集]遊撃・二塁を中心に内野全ポジションを高いレベルで守り、外野もこなすユーティリティープレーヤー[16][17]。俊足を生かした走塁も武器[18]。打撃では課題があったが[16]、小技に長けていた[19]。第1次中日時代は監督の落合博満から堅い守備力を評価され、主に二遊間のレギュラーである荒木雅博、井端弘和のバックアップ要員として活躍した[16]。
守備でのモットーは「弱気は最大の敵」であり、グラブにも刺繍を入れていた。受け身にならず、常に攻めの姿勢で臨むことを貫いていた[20]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008 | 中日 | 20 | 19 | 18 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .056 | .056 | .111 | .167 |
2009 | 19 | 14 | 11 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | .182 | .308 | .182 | .490 | |
2010 | 78 | 85 | 60 | 13 | 11 | 2 | 0 | 1 | 16 | 4 | 3 | 2 | 17 | 0 | 8 | 0 | 0 | 13 | 0 | .183 | .279 | .267 | .546 | |
2011 | 51 | 91 | 78 | 9 | 17 | 3 | 1 | 0 | 22 | 3 | 0 | 1 | 6 | 0 | 7 | 0 | 0 | 13 | 1 | .218 | .282 | .282 | .564 | |
2012 | 36 | 24 | 20 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 1 | .100 | .182 | .100 | .282 | |
2013 | 楽天 | 74 | 112 | 101 | 17 | 22 | 5 | 0 | 0 | 27 | 12 | 0 | 2 | 5 | 1 | 5 | 0 | 0 | 18 | 3 | .218 | .252 | .267 | .519 |
2014 | 56 | 63 | 54 | 8 | 10 | 2 | 1 | 0 | 14 | 7 | 0 | 1 | 3 | 0 | 5 | 0 | 1 | 12 | 1 | .185 | .267 | .259 | .526 | |
2015 | 44 | 42 | 38 | 5 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 6 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 12 | 0 | .263 | .300 | .289 | .589 | |
2017 | 中日 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
NPB:9年 | 379 | 451 | 381 | 60 | 75 | 14 | 2 | 1 | 96 | 33 | 4 | 7 | 37 | 1 | 31 | 0 | 1 | 75 | 6 | .197 | .258 | .252 | .511 |
年度別守備成績
[編集]- 内野守備
年 度 |
遊撃 | 二塁 | 三塁 | 一塁 | ||||||||||||||||||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
2008 | 7 | 2 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | 10 | 10 | 22 | 0 | 2 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2009 | - | 5 | 10 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||
2010 | 15 | 8 | 21 | 1 | 7 | .967 | 57 | 45 | 70 | 0 | 17 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | - | |||||
2011 | 36 | 32 | 72 | 4 | 12 | .963 | 4 | 2 | 5 | 0 | 2 | 1.000 | 10 | 0 | 5 | 1 | 0 | .833 | - | |||||
2012 | 8 | 2 | 8 | 1 | 3 | .909 | 7 | 7 | 12 | 0 | 2 | 1.000 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | - | |||||
2013 | 44 | 25 | 57 | 4 | 8 | .953 | 17 | 20 | 27 | 1 | 7 | .979 | 14 | 1 | 12 | 1 | 1 | .929 | - | |||||
2014 | 7 | 8 | 7 | 0 | 2 | 1.000 | 9 | 11 | 7 | 0 | 1 | 1.000 | 26 | 9 | 15 | 1 | 2 | .960 | 10 | 29 | 1 | 0 | 4 | 1.000 |
2015 | 17 | 15 | 21 | 0 | 4 | 1.000 | 6 | 7 | 17 | 0 | 5 | 1.000 | 7 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 3 | 12 | 0 | 0 | 3 | 1.000 |
通算 | 134 | 91 | 191 | 10 | 37 | .966 | 115 | 112 | 165 | 1 | 37 | .996 | 64 | 12 | 36 | 3 | 3 | .941 | 13 | 41 | 1 | 0 | 7 | 1.000 |
- 外野守備
年 度 |
外野:3季 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | |
2009 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2014 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2015 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
記録
[編集]- 初出場:2008年6月22日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に吉見一起の代打で出場
- 初打席:同上、8回裏に久保康友から捕手ゴロ
- 初盗塁:2008年8月3日、対読売ジャイアンツ15回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に二盗(投手:マーク・クルーン、捕手:鶴岡一成)
- 初先発出場:2008年8月15日、対東京ヤクルトスワローズ15回戦(ナゴヤドーム)、2番・二塁手で先発出場
- 初安打:2008年8月16日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(ナゴヤドーム)、3回裏にショーン・ダグラスから左中間へ二塁打
- 初打点:2010年5月1日、対広島東洋カープ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に小松剛から左前適時打
- 初本塁打:2010年9月1日、対広島東洋カープ20回戦(ナゴヤドーム)、10回裏に大島崇行から左越サヨナラ2ラン
背番号
[編集]- 46 (2007年 - 2012年)
- 67 (2013年 - 2016年)
- 206 (2017年 - 同年7月9日)
- 0 (2017年7月10日 - 同年終了)
登場曲
[編集]- 「じょいふる」いきものがかり(2010 - 2011年)
- 「Sunny Stripe」ORANGE RANGE(2012年 - 2017年)
脚注
[編集]- ^ プロ野球プレイヤーズ名鑑 2007 スポーツニッポン新聞社
- ^ 本来、日本プロ野球の出場選手登録では抹消後10日間は再登録できないことになっているが、北京五輪による特例措置で再登録することができた。
- ^ 失敗帳消し!?中日4年目の守備固め要員 初本塁打がサヨナラ弾スポーツニッポン 2010年9月2日
- ^ “岩崎達郎選手トレードのお知らせ”. 中日ドラゴンズ (2013年3月11日). 2013年3月11日閲覧。
- ^ “金銭トレードに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2013年3月11日). 2013年3月11日閲覧。
- ^ “岩崎達のトレード了承、楽天側は明らかにせず”. SANSPO.COM. (2013年3月3日) 2013年3月11日閲覧。
- ^ “星野監督 トレード情報先行の中日に不快感「何も決まってない」”. Sponichi Annex. (2013年3月5日) 2013年3月11日閲覧。
- ^ “岩崎達なぜ放出?中日内部でも異論”. 東スポWeb. (2013年3月7日) 2013年3月11日閲覧。
- ^ “「守備の人」楽天岩崎プロ初の猛打賞”. nikkansports.com. (2013年6月28日)
- ^ “来季の選手契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
- ^ “自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
- ^ “楽天戦力外の岩崎が中日と育成契約 5年ぶり復帰”. 日刊スポーツ. (2016年11月25日) 2016年11月25日閲覧。
- ^ “楽天戦力外の岩崎、育成契約で5年ぶり中日復帰「戻ってこれてよかった」”. スポニチアネックス. (2016年11月25日) 2016年11月25日閲覧。
- ^ 2017年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2017年12月4日閲覧。
- ^ “【楽天イーグルスアカデミー】新任ジュニアコーチのお知らせ|東北楽天ゴールデンイーグルス”. 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト (2018年1月11日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ a b c “打撃力が影響!? ユーティリティープレーヤーが戦力外 | BASEBALL KING”. BASEBALL KING. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “中日・岩崎達郎 楽天を戦力外となった岩崎、古巣復帰 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “【中日】23歳岩崎が俊足でアピール誓う - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “「求められているのは守備で貢献」岩崎達郎選手の入団会見|東北楽天ゴールデンイーグルス”. 楽天イーグルス オフィシャルサイト. 2021年8月14日閲覧。
- ^ “岩崎 達郎さん | プロ野球・東北楽天の内野手として、昨年日本一に輝いた | 瀬谷区”. タウンニュース. 2021年8月14日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 岩﨑達郎 - NPB.jp 日本野球機構