岩田達七
表示
いわた たつしち 岩田 達七 | |
---|---|
生誕 |
1950年??月??日 日本 愛知県 |
国籍 | 日本 |
出身校 | |
職業 | |
団体 | マドラス |
肩書き | マドラス代表取締役社長 |
任期 | 2010年 - |
親 | 岩田 孝七(父) |
家族 | 岩田 栄七(弟) |
岩田 達七(いわた たつしち、1950年 - )は、日本の実業家、マドラス代表取締役社長である。
経歴
[編集]1950年に岩田孝七の長男として愛知県に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、73年にマドラス(旧亜細亜製靴株式会社)入社。80年に同取締役、84年に同代表取締役、2010年に現職。関連会社の代表取締役も務める。弟の岩田栄七は同会長、岩田工機代表取締役社長を務めた[1]。
家族・親族
[編集]- 曽祖父・初代武七(岩田屋創業者)[2]
- 曽祖母・すゑ[2]
- 祖父・2代目武七(亜細亜製靴株式会社社長)[4]
- 祖母・きた[4]
- 明治25年(1892年)12月生まれ。岐阜県平民、佐伯最三の妹。
- 父・孝七(マドラス元社長)[4]
- 伯父・正作(岩田工機元社長、亜細亜製靴株式会社監査役)[5]
- 伯母・美恵子[5]
- 大正6年(1917年)7月生まれ。直井修三の次女。高山高等女学校(現・岐阜県立高山高等学校)出身。
- 叔父・誠三(国際鳩連盟理事、マドラス元社長)[4]
- 大正7年(1918年)11月生まれ。慶應義塾大学経済学部出身[5]。長女の和子は能楽師である梅若六郎 (56世)の妻、次女の英子はサントリーホールディングス代表取締役会長である佐治信忠の妻である[8]。
- なお、義弟にカネヨ元社長の服部英一がいる[9]。また服部の義兄に名古屋鉄道副社長の神野三男(中部瓦斯初代社長・神野三郎の三男)がいるため、名古屋で有数の資産家・神野家と岩田家は閨閥関係にある。
- 弟・栄七(岩田工機元代表取締役社長)[1]
脚注
[編集]- ^ a b SHIMBUN,LTD, NIKKAN KOGYO. “マドラス、社長に岩田達七(いわた・たつしち)氏”. 日刊工業新聞電子版. 2021年1月23日閲覧。
- ^ a b “岩田武七 (第4版)実親子関係がある採録者表示: 岩田武七 (第4版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年1月23日閲覧。
- ^ a b c “軍靴の靴底金具から靴のトップブランドに発展 マドラス|愛知千年企業-大正時代編”. www.nagoya-rekishi.com. 2021年1月23日閲覧。
- ^ a b c d “岩田武七 (第8版)実親子関係がある採録者表示: 岩田武七 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年1月23日閲覧。
- ^ a b c d “人事興信録. 第12版上 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年1月23日閲覧。
- ^ 『人事興信錄』人事興信所、1995年 。
- ^ 『人事興信錄』人事興信所、1995年 。
- ^ “サントリー鳥井・佐治家 近現代・系図ワールド”. kingendaikeizu.net. 2021年1月23日閲覧。
- ^ 『人事興信錄』人事興信所、1995年 。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版』人事興信所、1940年。