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岩田巌 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩田 巌(いわた いわお、1923年10月7日 - 1986年5月22日)は、日本実業家

来歴

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北海道札幌市出身。岩田徳治の長男。子息に岩田圭剛がいる。1944年に明治大学商学部を卒業したが、軍に召集を受けた。

1946年に復員後、岩田組に入社した。1949年に岩田建設専務取締役となり、1960年同社長に就く。

江別大橋、幌平橋豊水橋雁来大橋などを手掛け、父に続いて「橋の岩田」と称された。また北海道学芸大学附属小学校・北海道学芸大学附属中学校、北海道立図書館などを手掛けた[1]

公職として札幌建設業協会理事・北海道建設業協会理事(以上1972年就任)、札幌建設業協会副会長(1981年就任)を務め、1982年には札幌建友会会長に就任した。ほかに北海道機械開発取締役、北海道開発コンサルタント取締役、北海道建設業信用保証監査役、札幌商工会議所議員会長・同建設委員長を歴任した[1]

脚注

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  1. ^ a b 髙木正雄(編)『北海道建設人物事典』北海道建設新聞社、2008年、p.64