岩田大中
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岩田大中 いわた だいちゅう | |
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生年月日 | 1871年6月23日 |
出生地 | 日本 富山県 |
没年月日 | 1945年8月2日(74歳没) |
出身校 | 専修学校理財科(現・専修大学) |
前職 | 実業家 |
所属政党 | 立憲政友会 |
選挙区 | 富山市選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1912年 - 1914年12月25日 |
富山市会議員 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1910年5月 - ? |
富山県会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1907年9月 - 1911年9月 |
岩田 大中(いわた だいちゅう、1871年6月23日(明治4年5月6日)[1] - 1945年(昭和20年)8月2日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]富山県出身[3]。専修学校(現・専修大学)理財科で学び、1888年に卒業[3][4]。小間物商と売薬商を営む[3]。1907年9月、富山県会議員に当選した[2][4][5][6]。1908年の第10回衆議院議員総選挙において富山市選挙区から立憲政友会公認で立候補して落選[7]。1910年5月、富山市会議員に当選した[6]。1911年9月に県会議員を退任した[6]。1912年の第11回衆議院議員総選挙で当選[8]。衆議院議員を1期務めた[6]。1913年、市会議員の再選を果たした[6]。1915年の第12回衆議院議員総選挙に立候補したが、落選した[9]。
それ以外では、1902年3月に週刊中立新報を発行したが、同年5月に廃刊となった[6]。また、 1905年6月に倫道を発行した[6]。
また、日刊共済新報、日刊中央新聞を発行する[2]。
1945年8月2日に戦災のため死去[6]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、34頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』81頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』80頁。
- ^ a b 『選挙要覧』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『富山市史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g h 『富山県議会史 第2巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』49頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』53頁。
- ^ 『富山県政史 第1卷』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。