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岩根村 (滋賀県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いわねむら
岩根村
廃止日 1955年4月10日
廃止理由 新設合併
甲賀郡岩根村・三雲村甲西町
現在の自治体 湖南市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 滋賀県
甲賀郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,748
国勢調査1950年
隣接自治体 甲賀郡石部町、三雲村、伴谷村柏木村下田村
野洲郡野洲町
蒲生郡鏡山村
岩根村役場
所在地 滋賀県甲賀郡岩根村
座標 北緯35度00分08秒 東経136度06分46秒 / 北緯35.00233度 東経136.11264度 / 35.00233; 136.11264座標: 北緯35度00分08秒 東経136度06分46秒 / 北緯35.00233度 東経136.11264度 / 35.00233; 136.11264
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岩根村(いわねむら)は滋賀県甲賀郡にあった。現在の湖南市の北部、野洲川右岸のうち下田と湖南工業団地を除いた区域にあたる。

地理

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歴史

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1872年明治5年)4月7日、当時の戸籍法に基づいた区の設置により石部村・東寺村・西寺村・柑子袋村・平松村・針村・夏見村・吉永村・三雲村・岩根村・朝国村・菩提寺村・正福寺村の13村が甲賀郡第1区となった。甲賀郡には第10区まで置かれた。滋賀県では戸籍法による区の設置後も町村の機能を残して行政運営を行っていた。

1878年(明治11年)には戸籍法制定時に設けた区を廃止。翌年の1879年(明治12年)5月16日、町村を行政組織の末端と規定する郡区町村編制法が施行。1885年(明治18年)7月1日、「連合戸長役場」が岩根村に設置され、岩根村・朝国村・菩提寺村・正福寺村を管轄した。1889年(明治22年)4月1日町村制施行時には4村の区域をもって本村が発足した。

1941年昭和16年)には、戦時政策として、本村の一部(菩提寺・正福寺)と石部町および三雲村の一部(柑子袋・平松・針)の合併が検討されたが実現しなかった。1953年(昭和28年)に市町村合併促進法が制定され、県甲賀地方事務所は、本村と石部町・三雲村・下田村の4町村の合併を提案したが、下田村は中学校建設問題、蒲生郡苗村鏡山村との合併が視野にあることを理由に脱退した。また、石部町が新町名に石部町、仮庁舎・本庁舎とも石部を主張したのに対し、本村と三雲村は役場位置を3町村の中間地点に置くべきと主張して議論は平行線をたどり、三雲村・岩根村の2村が1955年(昭和30年)4月10日に合併して甲西町となった。

沿革

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交通

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道路

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現在は旧村域に名神高速道路菩提寺パーキングエリアが所在するが、当時は未開通。

参考文献

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関連項目

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