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岩松玄十

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岩松 玄十(いわまつ げんじゅう、1881年明治14年〉2月5日[1] - 1976年昭和51年〉3月5日[2])は、日本検事

経歴

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佐賀県佐賀市出身[1]1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し[3]、司法官試補となる[1]大津地方裁判所判事、奈良区裁判所検事、東京区裁判所検事、長野地方裁判所検事、千葉地方裁判所検事、同検事正、台湾総督府高等法院検察官長、横浜地方裁判所検事正、東京控訴院検事、司法省行刑局長、宮城控訴院検事長、長崎控訴院検事長を歴任し、1941年昭和16年)からは大阪控訴院検事長を務めた[3]

1976年(昭和51年)3月、急性心不全で死去した[2]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c 帝国法曹大観 1915, p. 293.
  2. ^ a b 『法曹 10月号』3頁。
  3. ^ a b 人事興信録 1943.

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。 
  • 『法曹 10月号』法曹会、1976年。