岩松昌純
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岩松 昌純(いわまつ まさずみ、文明1年(1485年) - 享禄2年(1529年))は、戦国時代の武将。上野国金山城主。岩松氏。
経歴
[編集]文明17年(1485年)、岩松尚純の子として生まれる。
父が家臣の横瀬景繁と対立して強制隠居させられると、横瀬氏により後釜として擁立されて当主となった。しかし若年の上、当主に就いた経緯などから横瀬氏の傀儡でしかなかった。
このため、主導権を取り戻すべく横瀬泰繁と対立する。享禄2年(1529年)、泰繁を討とうとした計画が露見して泰繁の反撃を受け、その軍勢によって逆に殺された。享年45。
昌純の死後、泰繁はその子・岩松氏純(弟の説もある)を和睦した上で擁立している。
関連項目
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