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岩松寺 (羽生市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩松寺
所在地 埼玉県羽生市上岩瀬1753
位置 北緯36度10分02.8秒 東経139度31分19.4秒 / 北緯36.167444度 東経139.522056度 / 36.167444; 139.522056座標: 北緯36度10分02.8秒 東経139度31分19.4秒 / 北緯36.167444度 東経139.522056度 / 36.167444; 139.522056
山号 瑞雲山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 室町時代末期
開山 叡州勝珠
開基 柴山縫殿之介
法人番号 8030005005190 ウィキデータを編集
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岩松寺(がんしょうじ)は、埼玉県羽生市にある曹洞宗寺院

歴史

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室町時代末期、柴山縫殿之介の開基である。縫殿之介は信濃国の出身で、永禄年間(1558年 - 1570年)に後北条氏に仕えることになった。その頃、羽生城木戸忠朝忍城成田氏長との間に領地をめぐる紛争が勃発、後北条氏は羽生の木戸氏に加担し、援軍を送った。その時の将が縫殿之介であり、武功を挙げた。その後、縫殿之介は西岩瀬の禅僧「信宗」と親交をむずび、当寺を創建することになった[1][2]

後北条氏滅亡後、縫殿之介は浪人となり、流浪の旅に出た。その際に自分の息子を当寺に預けた。その子は長じて「柴山新次郎重吉」と名乗った。その後、関東地方徳川家康の領地となり、その代官が当地を巡検した際に、新次郎が只者でないことを見抜き、父の縫殿之介が開基の当寺に対して、特段の配慮がなされることになった[1][2]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年、410p
  2. ^ a b 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年、24-25p

参考文献

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  • 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年
  • 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年