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岩村田遊廓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
門柱跡

岩村田遊廓(いわむらだゆうかく、岩村田遊廓)は、かつて長野県佐久市岩村田にあった遊廓

歴史

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1948年(昭和23年)撮影の鼻顔稲荷神社空撮。中央の森が鼻顔稲荷神社社叢。中央を流れる湯川を挟んで左下に見えるのが遊廓跡か。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

1889年明治22年)、遊廓開業[1]

現在の佐久市岩村田(当時・北佐久郡岩村田町)の東部、鼻顔稲荷神社とは湯川を挟んで対岸に位置していた。遊廓周辺の稲荷町・花園町は鼻顔稲荷神社の鳥居前町として発展した街で、遊廓の開業は商業の発展に拍車を掛けた[1]

中山道追分宿(北佐久郡軽井沢町)から移った「分里郭」が11軒あった。2階から3階建ての建物が多かった中、「本嘉女屋」は5階建てで、屋上部分はイスラーム建築を思わせるドームがあった[2]

遊廓があった当時は色情にまつわる都々逸が流行した。いくつか種類があり、これを歌えない者は堅物などといって小馬鹿にされたという。夕方になり、風に乗って運ばれてくる女たちの歌声は、働く若者たちの仕事の手を止めてしまうものだった。誘惑に負け散財したなどという色話が伝えられている[2]

1940年昭和15年)、遊廓廃止[1]

脚注

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  1. ^ a b c 福井一喜, 金延景, 上野李佳子, 兼子純長野県佐久市岩村田地区における商業空間の変容」『地域研究年報』第37号、筑波大学人文地理学・地誌学研究会、2015年2月、231-254頁、NAID 120005596165 
  2. ^ a b 『佐久市志 民俗編 下』1026ページ。

参考文献

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  • 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 民俗編 下』佐久市志刊行会、1990年

関連項目

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