岩村定高
岩村 定高(いわむら さだたか、1828年(文政11年11月12日[要出典])- 1899年(明治32年)1月7日[1])は、明治期の官僚、政治家。三重県令、元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。旧名・右近[2]。
経歴
[編集]佐賀藩士の家に生まれる[3]。
明治2年7月17日(1869年8月24日)佐賀藩権大参事に就任。同年7月23日(8月30日)明治政府に出仕し開拓御用掛となる。以後、開拓権判官、兼民部権大丞、山形県大参事、同県参事を歴任[2]。
明治5年9月18日(1872年10月20日)三重県参事に転じた。1873年11月2日、三重県権令、1875年12月9日、三重県令に昇進[2]。1876年4月18日、現在の三重県が成立し引き続き県令を務め、県政の基礎を確立することに尽力[4]。同年12月、飯野郡(現在の松阪市)に端を発した地租改正反対一揆である伊勢暴動が起こり鎮圧した。また、1880年5月、通常県会に郡長・郡吏員増俸案を提出したが、県会で削減が可決された。岩村は原案執行を行い、財源を地租として徴収したため、県議30名が異議を唱え辞表を提出し帰郷した連袂辞職事件が起こった[4]。
1884年7月10日、元老院議官に就任。1890年10月20日の廃止まで在任し非職となり、同日、錦鶏間祗候を仰せ付けられ[2]、1891年4月21日、非職元元老院議官を依願免本官となる[5]。同年4月15日、貴族院勅選議員に任じられ[6]、死去するまで在任した[1]。
愛知県犬山市にある「博物館 明治村」には、岩村定高の発案による洋風県庁舎が、現存する最古の県庁舎(旧三重県庁舎)として保管展示されている。(国の重要文化財)
明治12年(1879)に完成し、新庁舎建設に伴い昭和39年(1964)に解体され、「博物館 明治村」に昭和41年(1966)に移築復元された。
三重県庁舎は、間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされている。 中央に玄関と車寄を置き、前面にベランダをつけて左右対称とする構成は、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型といえる。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』99頁。
- ^ a b c d 「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 岩村定高」
- ^ 『明治過去帳』554頁。
- ^ a b 『新編日本の歴代知事』604頁。
- ^ 『官報』第2340号、明治24年4月22日。
- ^ 『官報』第2335号、明治24年4月16日。
- ^ 『官報』第354号「叙任及辞令」1884年9月1日。
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
- ^ 『官報』第527号「賞勲叙任」1885年4月8日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第4653号「叙任及辞令」1899年1月7日。
参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 太政官「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 岩村定高」明治2年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-031-09・職00149100