岩本忠夫
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岩本 忠夫 | |
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生年月日 | 1928年10月25日 |
出生地 | 福島県双葉町 |
没年月日 | 2011年7月15日(82歳没)[1] |
死没地 | 福島県福島市 |
所属政党 | 日本社会党→無所属 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1985年12月8日 - 2005年12月7日 |
福島県議会議員 | |
選挙区 | 双葉郡 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1971年4月 - 1975年 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1963年 - 1967年 |
岩本 忠夫(いわもと ただお、1928年10月25日[2] - 2011年7月15日)は、日本の政治家。元福島県双葉町長。
経歴
[編集]福島県双葉町出身。地元で酒屋を営んでいた。青年団活動を経て1958年日本社会党に入党[3]。双葉地方原発反対同盟の結成に参加し、双葉町議を経て、1971年4月には福島県議会議員に初当選。福島第一原子力発電所の作業員の被曝や放射性廃液漏れなどの問題を厳しく追及した。
→「福島第一原子力発電所反対運動」も参照
原発交付金で地元が潤う中、1975年・1979年・1983年の県議選で落選。1982年に反対同盟を辞め、1984年には社会党を離党した。1985年、不正支出問題で田中清太郎町長が辞任すると、町長選挙の候補者に推され、保守系の票も集めて大差で当選した。5期20年町長を務め、電源三法交付金や東京電力の寄付を財源に大型公共事業をすすめた[3]。
著作
[編集]- 「大衆闘争を構築し更にたたかいの前進を--福島・双葉原発反対闘争 (反原発・現地闘争報告)」『月刊社会党』225号、日本社会党中央本部機関紙局、1975年9月 pp.35-41
- 「双葉原発反対同盟--原発立地反対の住民運動 (原発を撃つ!反原発の燎原の火<特集> ; 原発立地反対の住民運動)」、『月刊自治研』23巻9号、自治研中央推進委員会 編 1981年9月 pp.32-34[4]
- 「首長選立候補者の政策と意見」、『政経東北』、東邦出版、1997年11月
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 参議院会議録 第72回国会 大蔵委員会 第19号 1974年5月30日 - 電源三法の審議の際、双相地方原発反対同盟議長として参考人招致され発言した
- 衆議院会議録 第155回国会 経済産業委員会 第7号2002年11月20日 - 福島県双葉町長として参考人招致され発言した
- 岩本久人「父・岩本忠夫(元双葉町長)の半生を見つめて」収録年月日 2013年11月22日 - NHK戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2013年度「地方から見た戦後」第5回 福島・浜通り 原発と生きた町