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岩月直彦

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岩月直彦

岩月 直彦(いわつき なおひこ、1866年7月21日慶応2年6月10日[1][2]) - 1938年昭和13年)6月5日[3])は、明治から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員。旧姓・堀之内。

経歴

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堀之内庄右衛門の弟として薩摩鹿児島藩薩摩郡隈之城郷(隈之城村、川内町、川内市を経て現薩摩川内市勝目町)に生まれ[4][5]1891年(明治24年)8月、前戸主岩月佐美の養子となり家督を相続する[1][2]1887年(明治20年)薩摩郡城下尋常小学校訓導、同校長を経て隈之城村会議員に当選[3]。ほか、鹿児島県農工銀行取締役、隈之城村学務委員、鹿児島県会議員、同参事会員などを歴任する傍ら[3][2]、金銀鉱業を経営し、大口金山支配人を務めた[4]

1904年(明治37年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1906年(明治39年)8月27日[7]まで在任[3]。のち、川宮鉄道社長、川内製糸場社長[4]、薩摩製糸取締役、鹿児島勤儉銀行、鹿児島養蚕種各監査役などを歴任した[8]

親族

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脚注

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  1. ^ a b 人事興信所 1915, い78頁.
  2. ^ a b c 『大正人名辞典 第3版』1760頁。
  3. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 181頁.
  4. ^ a b c d 竹内ほか 1994, 336頁.
  5. ^ 川内郷土史編さん委員会 1980, p. 1005-1006.
  6. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
  7. ^ 『官報』第6950号、明治39年8月28日。
  8. ^ 人事興信所 1928, イ248頁.

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995 
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 竹内理三ほか 編纂『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。ISBN 4040024605 
  • 川内郷土史編さん委員会『川内市史 下巻』川内市、1980年。