岩惣
岩惣 | |
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玄関 | |
ホテル概要 | |
部屋数 | 38[1]室 |
開業 | 1854年 |
最寄駅 | (宮島桟橋) |
所在地 |
〒739-0522 広島県廿日市市宮島町南町345-1 |
位置 | 北緯34度17分42.4秒 東経132度19分20.3秒 / 北緯34.295111度 東経132.322306度座標: 北緯34度17分42.4秒 東経132度19分20.3秒 / 北緯34.295111度 東経132.322306度 |
公式サイト | 公式サイト |
みやじまの宿 岩惣(みやじまのやど いわそう)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある旅館。
施設
[編集]紅葉谷公園の入り口に建ち、厳島神社まで徒歩3分の位置にある[2]。紅葉谷川に沿うように本館・新館、5つの離れからなる。客室はすべて和室、料理は懐石[2][1]。以下、主に公式ホームページから参照
- 本館
- 新館
- 紅葉谷を望む形で建つ[5]。5階建[2]。
- 客室は29室。全室バス・洋式トイレ付。車椅子のままでもアプローチできる[5]。
- 130名収容できる宴会場「管弦」がある。
- 地階に「若宮温泉」と名付けられた温泉がある。泉質は単純弱放射能冷鉱泉[6]。露天風呂では宮島の鹿が見られることもあるという[7][1]。
- 離れ
本館の奥側にある。一室一棟の平屋建が5つあり、公式的には4つ案内されている。以下本館に近い側(西側)から列挙する。
- 「錦楓亭」 - 1951年(昭和26年)竣工[8]。最も紅葉谷に溶け込んだ離れ。
- 「秋錦亭」 - 1928年(昭和3年)竣工[8]。内風呂あり。
- 「龍門亭」 - 浅野長勲が命名。1924年(大正13年)竣工[8]。
- 「洗心亭」 - 即中斎が命名。1950年(昭和25年)竣工[8]。内風呂あり。
これとは別に1933年(昭和8年)竣工の貴賓室として用いられている「錫福館」がある[8][9]。
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新館
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写真中央の路より左側が岩惣敷地。写真中央の石積より右側が紅葉谷川庭園砂防施設。
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ひょうたん桟敷にある浅野長勲揮毫「幽玄」。
沿革
[編集]映像外部リンク | |
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中国放送 ひろしま戦前の風景 | |
16.宮島 長浜海水浴 - 1935年。戦前、長浜海岸にプライベートビーチを所有していた。 |
画像外部リンク | |
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戦前土木学会絵葉書ライブラリー | |
紅葉谷公園 - 岩惣の川座敷かは不明 |
厳島神社で管絃祭が行われると、周辺ではその前後1ヶ月間市がたち賑わっていた[10]。それに目をつけた初代岩国屋惣兵衛は、嘉永年間(1848年-1855年)因幡屋茂吉と共に紅葉谷の開拓を広島藩宮島奉行所に願い出る[7][11][10]。これが認められ、惣兵衛と茂吉は紅葉谷川を挟んで競いあうように地をならし草木を植え亭を建てた[11]。そして2人は亭を結ぶように橋をかけた[11]。これが現在の紅葉谷公園となる。
安政元年(1854年)、惣兵衛は茶店を開業する[11][8][10]。なお岩惣の名はこの岩国屋惣兵衛からきている[10][7]。
明治に入ってすぐ旅館として開業した[10]。明治25年(1892年)、弥山木を利用して母屋、現在の玄関部を建築した[11]。
岩惣公表によると、当時の女将が「なにかお客様に岩惣でしか味わえないお茶菓子をお出ししたい」とカステラ生地の中にこしあんを入れたまんじゅうを考案、それを高津堂の高津常助に制作を依頼して明治39年(1906年)「紅葉形焼饅頭」のちのもみじ饅頭が誕生した[11](伊藤博文が岩惣の茶屋で休憩していた折、給仕した娘の手を見て「なんと可愛らしい紅葉のような手であろう、食べてしまいたい」と冗談を言ったのを岩惣の女将が聞きとめ依頼した[1]、という風説もある。一般には、岩惣の女将が高津に依頼、高津が試行錯誤の末もみじ饅頭の考案したとされる[12]。)
大正から昭和初期にかけて、川座敷や離れが建てられた[11]。現在も残る離れでは、龍門亭が大正13年(1924年)、秋錦亭が昭和3年(1928年)、錫福館が昭和8年(1944年)に建てられている[8]。
昭和20年(1945年)9月、枕崎台風が宮島を襲い紅葉谷川で土石流が発生、岩惣も被災し川座敷が流出した[8]。岩惣は自力で復旧している[8]。その後に紅葉谷川の復旧工事が進められ、紅葉谷川庭園砂防施設が完成した[8]。
昭和22年(1947年)12月5日、昭和天皇が宮島を訪問(昭和天皇の戦後巡幸)。岩惣が宿泊所にあてられた[13]。
平成14年(2002年)、明治時代から使用していた井戸を調べた結果、地下5mからラドンを含む良質の源泉が見つかった[2]。源泉周辺は昔、若宮ヶ原と呼ばれていたことから若宮温泉と名が付けられた[2]。
宮島を訪れた各国皇族、政治家、文化人など様々な歴史に名を残す人物が宿泊している[9][7]。平成20年(2008年)G8議長サミット(第34回主要国首脳会議)のゲスト宿泊地、平成28年(2016年)G7外相会合(第42回先進国首脳会議)の会食会議場に用いられた[14]。また、令和5年(2023年)G7広島サミット(第49回先進国首脳会議)ではセッション3(ワーキング・ディナー)「外交・安全保障」の会談会場となった。[15]
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e “岩惣”. 近畿日本ツーリスト. 2021年12月27日閲覧。
- ^ a b c d e 『全国の老舗宿が推薦する自慢の逸品 「女将さんの太鼓判」』かぴさまエンターテイメント、2010年、220-229頁。ISBN 4904121058 。
- ^ “谷に向き合う「本館」”. 岩惣. 2001年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月27日閲覧。
- ^ “朝日に向かう「玄関」”. 岩惣. 2001年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月27日閲覧。
- ^ a b “谷を臨む「新館」”. 岩惣. 2001年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月27日閲覧。
- ^ “若宮温泉”. ひろしま観光ナビ. 2021年12月27日閲覧。
- ^ a b c d “38 「岩惣」世界遺産、安芸の宮島の温泉旅館へ。”. Discover Japan. 2021年12月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 杉本真理「宮島・紅葉谷川の庭園砂防と老舗旅館一体整備に関する研究」(PDF)『近畿大学工学部建築学科卒業研究概要』、近畿大学、2014年、11-12頁、2021年12月27日閲覧。
- ^ a b “【川島宏治のTHEひろしま・プラス1】みやじまの宿 岩惣の女将 岩村玉希さん(42)”. 中国新聞 (2017年5月2日). 2021年12月27日閲覧。
- ^ a b c d e “お宿だより”. 岩惣. 2001年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g “もみじ谷と岩惣”. 岩惣. 2013年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月27日閲覧。
- ^ “もみじ饅頭”. 宮島観光協会. 2021年12月27日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、100頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ “宮島の老舗旅館『岩惣』の7代目女将・岩村玉希氏が受け継ぐ日本の文化と歴史”. 未来ノハジマリ. 2021年12月27日閲覧。
- ^ “G7広島サミット(セッション3(ワーキング・ディナー)「外交・安全保障」概要) | トピックス”. G7広島サミット2023 (2023年5月19日). 2023年5月24日閲覧。