岩岡とも枝
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岩岡 とも枝(いわおか ともえ、1896年(明治29年)6月15日 - 1933年(昭和8年)11月7日)は、大正末から昭和の初めにかけて活動した挿絵画家、日本画家。雅号に岩岡花僊、岩岡周和。
来歴・人物
[編集]戸籍上の名前はともゑ。弁護士の父・岩岡伊代治(長野県南安曇郡倭村出身)と母・ふくの間に東京市日本橋区浜町に生まれ育った。日本画を学び、池田輝方の曙会に所属する。弁護士の傍ら衆議院議員を1期務めた父・伊代治が1921年(大正10年)11月に亡くなった後、児童雑誌などに挿絵を描き始めた。『コドモノクニ』、『コドモアサヒ』、『金の星』などの雑誌のほか、楠山正雄、小川未明などの児童書に挿絵を描いた。1933年11月7日、「長らく心臓を悩んでおりましたが遂に病気昂進の為め」[1]現在の東京都済生会中央病院で死去した。享年37。
児童画では岡本帰一の弟子とされる。岡本を児童画の世界に導いた楠山正雄の妻は、義弟(妹の夫)の妹である。楠山の長女は幼い頃、とも枝に日本画を習ったという。
日本画家としては曙会展覧会に出品したほか[3]、日本美術院試作展覧会の第9回(1923年)に「猫」、第11回(1925年)に「菊」で入選した[4]。亡くなる半年前の1933年(昭和8年)5月、新宿三越で開かれた荒井寛方主宰の浩然会(後に浩然社)第1回展覧会に出品している[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 上笙一郎『岩岡とも枝=女性童画家三番目の人』(ビランジ33号、2014年)