岩富城
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岩富城 (千葉県) | |
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城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 原氏 |
築城年 | 1472年 |
主な城主 | 原氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度39分20.3秒 東経140度14分08.8秒 / 北緯35.655639度 東経140.235778度座標: 北緯35度39分20.3秒 東経140度14分08.8秒 / 北緯35.655639度 東経140.235778度 |
地図 |
岩富城(いわとみじょう)は、千葉県佐倉市岩富町にあった日本の城。
歴史
[編集]この地域は、古くは千葉氏一族の白井氏が支配していたが、1455年の享徳の乱以後、原氏が進出した。岩富城は、1472年に原景広が築城したと言われ、景広の子・胤行らが城主であった。この系統の原氏を「弥富原氏」と呼んでいる。[1]
1590年に原氏が千葉氏とともに滅びると、徳川家臣となった北条氏勝が鎌倉の玉縄城より移されて入城し、一万石に封ぜられた。
その後、1614年に養子の北条氏重が下野国(栃木県)の富田に転封されたため、廃城となったが、現在も空堀や土塁などの遺構が明瞭に残されている。[2]
構造
[編集]主郭は、五角形の平坦地であり、現在は浅間神社が置かれている。周囲を土塁がめぐっており、東側と南側には空堀がある。東側には出入り口となる土橋が設けられている。
城域を佐倉市コミュニティバスの走る旧道が南北に貫いており、これに沿って2つの郭がある。うち南側の郭はほぼ正方形をしており、本宿の小字名があることから、城主の館跡と考えられる。
また、外郭部には「町方」のバス停があり、周囲に城下集落が広がっていたものと思われる。[1]
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土橋
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浅間神社
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町方
アクセス
[編集]- 佐倉市コミュニティバス南部ルート 「岩富町坂下」下車
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 千葉城郭研究会編『図説 房総の城郭』(国書刊行会、2002年)
- 『日本城郭大系』