コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岩切英司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩切 英司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市城東区
生年月日 (1961-10-08) 1961年10月8日
没年月日 (2024-09-15) 2024年9月15日(62歳没)
福岡市
身長
体重
177 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1983年 ドラフト6位
初出場 1987年5月12日
最終出場 1991年7月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 福岡ダイエーホークス (1995 - 2000)

岩切 英司(いわきり えいじ、1961年10月8日 - 2024年9月15日)は、大阪府大阪市城東区[1]出身のプロ野球選手捕手)・コーチ

経歴

[編集]

城東工業高では3年春の府大会で夏に全国制覇することになるPL学園との決勝に勝利して優勝。この試合では後に捕手としてチームメイトとなる木戸克彦は外野手で出場、控えの金石昭人が完投したが、エースの西田真次は出場していない。卒業後は社会人野球京都大丸に進み、その後住友金属鹿島に移籍。1981年から1983年まで、両チーム及び補強選手として3年連続で都市対抗野球大会に出場[1]

1983年のプロ野球ドラフト会議阪神タイガースから6位指名を受け入団[1]

プロ4年目の1987年に一軍初出場。1990年には38試合に出場し、7試合に先発マスクを被る。しかし木戸克彦や嶋田宗彦の存在もあり二軍暮らし・ブルペン生活が長かった。1990年オフ、岩切・池田親興大野久渡真利克則藤本修二西川佳明吉田博之近田豊年右田雅彦の4対5のトレードで福岡ダイエーホークスに移籍[1]

しかしダイエーでも、吉永幸一郎の台頭もあって、4年間で14試合の出場にとどまり1994年オフに現役を引退[1]

引退後は、2000年まで同チームの育成コーチを務めた。

退団後、福岡市中洲にある複合ビル管理の仕事を19年間勤めたあと、2020年4月から福岡市内のタクシー会社で乗務員として勤務した[2]

2024年9月15日、呼吸器不全のため福岡市内の病院で死去した[3]。62歳没。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1987 阪神 6 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1988 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1989 11 7 5 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 1 0 1 1 1 .200 .429 .200 .629
1990 38 25 19 0 5 0 0 0 5 2 0 1 2 0 4 1 0 3 0 .263 .391 .263 .654
1991 ダイエー 14 18 16 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1 0 0 4 0 .063 .118 .063 .180
通算:5年 71 54 44 0 7 0 0 0 7 3 0 1 3 0 6 1 1 11 1 .159 .275 .159 .434

年度別守備成績

[編集]
年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 失策
1987 6 2 1 1 .500 0
1988 1 0 0 0 - 0
1989 10 5 5 0 .000 0
1990 37 16 13 3 .188 1
1991 12 9 7 2 .222 3
通算 66 32 26 6 .188 4

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 40 (1984年 - 1990年)
  • 43 (1991年 - 1994年)
  • 77 (1995年 - 2000年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、69ページ
  2. ^ 吉見健明 (2021年5月17日). “ムネリン、斉藤和巳に慕われた元阪神、ダイエーの苦労人捕手 いまは福岡でタクシー運転手”. まいどなニュース. https://maidonanews.jp/article/14349983 2021年5月18日閲覧。 
  3. ^ 元阪神、ダイエー捕手の岩切英司さんが死去”. 西スポWEB (2024年9月17日). 2024年9月17日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]