岡野 (大奥女中)
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岡野(おかの、1604年(慶長9年) - 1676年8月22日(延宝4年7月13日))は、江戸時代初期の大奥女中(筆頭老女)。父は御典医の宗仙法印。養子は高松藩士・能勢小原太。
生涯
[編集]宗仙法印の二女として生まれる。父の法印は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3代に渡って仕えた御典医である。江戸幕府2代将軍である徳川秀忠の御代より大奥に入り、徳川家光・徳川家綱に仕える。特に家光からの信任は厚かった。
1676年8月22日(延宝4年7月13日)、73歳で病没。墓所は東京都荒川区西日暮里にある南泉寺。戒名は栄寿院殿松岩慧昌大姉。岡野が病没した際は、家光は深く哀悼し永代回向のため、南泉寺に葵の紋章使用を許し、朱印寺として遇した。1686年(貞享3年)には岡野の遺言で朱印地三十石を南泉寺に賜る。将軍自ら墓参したが、これは臣下の墓へ前例のないことだと記されている[1]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “荒川区西日暮里にある臨済宗妙心寺派寺院、御朱印寺”. 南泉寺. 2018年11月2日閲覧。