岡部長著
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岡部長著肖像(泉光寺所蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 正徳元年12月26日(1712年2月2日) |
死没 | 宝暦6年6月4日(1756年6月30日) |
改名 | 豊次郎(幼名)、長著 |
墓所 | 大阪府岸和田市の十輪寺 |
官位 | 従五位下美濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 和泉岸和田藩主 |
氏族 | 岡部氏 |
父母 | 父:岡部長敬、母:側室 |
兄弟 | 長著、長皓、長邦、長矩ら |
妻 | 正室:松平乗邑の娘 |
子 | 長住、長修、長房、久世広明正室、内藤政陽正室、朝比奈稠池室、岡部長剛正室、岡部長堅室 |
岡部 長著(おかべ ながあきら)は、江戸時代中期の大名。和泉国岸和田藩の第5代藩主。官位は従五位下美濃守。岸和田藩岡部家6代。
略歴
[編集]第4代藩主・岡部長敬の長男として岸和田城にて誕生。母は側室と言われている。幼名は豊次郎。
父と正室の間に2人の息子があったがいずれも早世したため、側室の子ながら世子となり、享保9年(1724年)の父の死去により跡を継いだ。この頃から岸和田藩の藩財政が窮乏化していたため、倹約令を奨励する17条の法令を制定する。これは長著公享保之条目といわれた。また、文武を奨励するなどした。自らも絵画や能楽に優れていたといわれている。なお、寛延元年(1748年)には、大坂での朝鮮通信使接待を担当した。
宝暦6年(1756年)5月10日、次男・長住に家督を譲って隠居し、直後の6月4日に江戸にて死去した。享年46。墓所は大阪府岸和田市の十輪寺。