岡田貞三郎
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岡田 貞三郎(おかだ ていざぶろう、1896年〈明治29年〉2月29日 - 1972年〈昭和47年〉5月3日)は、日本の編集者[1]。
群馬県伊勢崎町に生まれる[1]。県立伊勢崎工業を卒業後、1917年(大正6年)講談社に入社[2]。雑誌『講談倶楽部』に配属され、1928年(昭和3年)からは編集主任(編集長)となる[2]。1929年(昭和4年)の『講談倶楽部』新年号は岡田の発案による付録「全国金満家番付」をつけ部数35万部を達成する[2]。江戸川乱歩を起用し、同年8月号から連載開始された『蜘蛛男』は人気となり、その後『魔術師』『恐怖王』『人間豹』と明智小五郎が活躍する連載が続き雑誌の人気を支えた[2]。他に吉川英治、岡本綺堂、大佛次郎、白井喬二らの編集も務めた[3]。幼少時にわずらった眼疾が進行し途中から盲目となったが、編集部員に原稿を代読させることによって1941年(昭和16年)まで主任を務めた[2]。
1971年(昭和46年)、大衆文学研究家の真鍋元之の聞き書きによる『大衆文学夜話』を刊行、翌年、76歳で亡くなった[2]。