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岡本章平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡本 章平(おかもと あきひら、1978年9月12日 - )は、大阪府出身のプロレーシングドライバー。マネージメントはSPEED OF JAPANが担当。

12歳でカートデビューし、1996年関西カートランドFR-2クラスシリーズチャンピオンを獲得。1998年からFJ1600でのレース活動を始め、1999年USAスカラシップを受けて、アメリカへ渡る。アメリカではフォーミュラ・ダッジ・イースタン・シリーズ新人賞を受賞し、2002年には日本へ戻りフォーミュラドリームに参戦。2005年にはNASCARダッジ・ウィークリー・シリーズ、2006年にはインディ・プロ・シリーズに参戦するなど、再びアメリカでのレースを再開するべく準備を進めている。また、ツインリンクもてぎで「岡本章平のストックカー・ドライビング・エクスペリエンス」のインストラクターも務めている。

来歴

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1993年に関西クラブマンレース(KART)でデビュー。同シリーズを2年連続でタイトルを獲得し、その後FJ1600へステップアップ。1999年にFJ1600日本一決定戦で6位に入賞し、USAスカラーシップを獲得した。これが岡本章平にとっての転換期になる。

翌2000年に渡米。Skip Barber Dodge Eastern Seriesに参戦。全16戦中11勝をし、ランキング2位、ルーキー・オブ・ザ・イアーを獲得。この年、SkipBarber Formula Dodge National Championship最終戦でコースレコードを樹立し優勝した。翌2001年にはSkipBarber Dodge Pro Seriesに参戦をし、ランキング10位でシーズンを終了する。このアメリカでの2年でアメリカがレースに対して持つ情熱に魅せられた。

2002年と2003年は帰国をし、Formula Dreamに参戦。2002年はランキング3位。

だが、アメリカでのレース参戦を再度挑戦するため、2004年から参戦への向けての活動を開始。2005年にはSpeed of Japanとマネージメント契約をし、その年、NASCAR WEEKLY SERIESにスポット参戦をした。翌2006年にインディカー・シリーズへのステップアップシリーズであるINDY PRO SERIES(現・FIRESTONE INDY LIGHTS SERIES)の最終戦にスポット参戦した。初めての高速オーバルで、初めてのマシンでこのレースに出場したのにもかかわらず、予選3位。決勝も終止、優勝争いを展開したが、最終ラップで後続車に接触され、最終コーナーでスピンアウトした。

現在もアメリカ参戦に向けて活動中。

戦歴

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  • 1993 関西カートランド クラブマンレース優勝
  • 1994 関西カートランド クラブマンレース優勝
  • 1996 関西カートランド FR-2クラス:シリーズチャンピオン
  • 1998 筑波サーキットFJ1600シリーズ参戦(最高位3位)
  • ツインリンクもてぎFJ1600シリーズ:ランキング6位(最高位2位)
  • 1999 筑波サーキットFJ1600シリーズ:ランキング7位(最高位2位)
  • ツインリンクもてぎFJ1600シリーズ:ランキング2位(最高位1位)
  • '99FJ1600日本一決定戦(キングオブキングス):ランキング6位(USAスカラシップ受賞)
  • 2000 SkipBarber Formula Dodge Eastern Series:ランキング2位(16戦中11勝、ルーキー・オブ・ザ・イヤー受賞)
  • SkipBarber Formula Dodge National Championship最終戦(優勝、Lime Rock Parkコースレコード樹立[2000.10.13])
  • 2001 SkipBarber Barber Dodge Pro Series:ランキング10位
  • 2002 Formula Dream:ランキング3位
  • 2003 Formula Dream:ランキング9位
  • 2005 NASCARダッジ・ウィークリー・シリーズ・スポット参戦
  • 2006 IRLインディ・プロシリーズ・スポット参戦

外部リンク

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