岡島林斎
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岡島 林斎(おかじま りんさい、天保3年〈1832年〉 - 慶応元年8月15日〈1865年10月4日〉)とは、江戸時代末期の幕臣、画家。
来歴
[編集]幕府御火消屋敷の与力で名は素岡、通称武左衛門。半仙と号す。狩野素川(彰信)に絵を学び、富士山の絵を得意とした。享年34。墓所は新宿区喜久井町の感通寺、法名は林斎院素岡日浄居士。歌川広重はこの林斎から狩野派の画風を学んだという[1]。
作品
[編集]- 「柏と梅花」 フェレンツ・ホップ東洋美術館所蔵 ※喜多武清と共画
- 「燕と浪磯図」 紙本墨画扇面 佐賀大学附属図書館所蔵 ※大西椿年と共画
- 「瀬田之記」 紙本巻子装 世田谷区立郷土資料館所蔵 ※江口忠房文、嘉永3年(1850年)[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 藤浪和子 『東京掃苔録』 東京名墓顕彰会、1940年 ※「岡嶋林齋」の項(74頁)
- 結城素明 『芸文家墓所誌』 村田書店、1977年 ※「岡嶋林齋」の項(109頁)