岐阜県立斐太実業高等学校高山分校
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岐阜県立斐太実業高等学校高山分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高山市 |
設立年月日 | 1948年 |
閉校年月日 | 1961年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 定時制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒506-0059 |
岐阜県高山市下林町353[注釈 1] | |
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岐阜県立斐太実業高等学校高山分校(ぎふけんりつひだじつぎょうこうとうがっこう たかやまぶんこう)は、かつて岐阜県高山市にあった公立の高等学校の分校。
概要
[編集]- 岐阜県立斐太実業高等学校の昼間定時制の分校であった。岐阜県立の高等学校の分校であったが、設置者は高山市であった[1]。
- 校舎は旧・大野郡上枝村に存在したため、設置時は岐阜県立高山女子高等学校上枝分校と称した。
沿革
[編集]- 1948年(昭和23年)
- 6月 - 高山市に岐阜県立高山女子高等学校上枝分校として開校。昼間定時制で農業科、被服科を設置。校舎は上枝小学校の校舎の一部を使用。
- 9月 - 岐阜県立高山女子高等学校と岐阜県立斐太農林高等学校を統合し、岐阜県立高山高等学校が発足。同時に岐阜県立高山高等学校上枝分校に改称する。
- 1953年(昭和28年)4月 - 農業科、被服科を廃止。普通科を設置。
- 1957年(昭和32年)4月 - 高山地区の高校再編により、岐阜県立斐太実業高等学校が開校。上枝分校は高山高等学校から斐太実業高等学校に移管され、岐阜県立斐太実業高等学校高山分校に改称する。
- 1958年(昭和33年)3月 - 募集を停止する。
- 1961年(昭和36年)3月 - 廃校。廃校時の生徒数は9名。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在の住所表記。
出典
[編集]- ^ 岐阜県の高等学校の定時制分校は、通称「岐阜県方式」という制度により、分校のある市町村や学校組合が設置者となり、運営と費用負担を行った。指導と教職員の派遣は岐阜県が行った。(和良村史P.930)。
参考文献
[編集]- 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.125