岐阜県立揖斐高等学校中部分校
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岐阜県立揖斐高等学校中部分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設立年月日 | 1948年 |
閉校年月日 | 1951年 |
課程 | 定時制 |
設置学科 | 農業科・家庭科 |
所在地 | 〒501-0621 |
岐阜県揖斐郡揖斐町大字下岡島[注釈 1] | |
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岐阜県立揖斐高等学校中部分校(ぎふけんりついびこうとうがっこう ちゅうぶぶんこう)とは、かつて岐阜県揖斐郡揖斐町(現・揖斐川町)にあった公立の高等学校の分校。
概要
[編集]- 揖斐高等学校の定時制の分校であった。1949年時点の生徒数は、農業科37名、家庭科24名。
- 1948年、岐阜県立揖斐農林学校が岐阜県立揖斐農林高等学校に改称、学区制実施に伴い総合制高等学校に改組されたさい、旧・揖斐郡中部青年学校の生徒のために設置された。設置者が定まっていなかった[注釈 2]こともあり、運営費は農場の売り上げを充てていた[1]。本校に近いこともあり、わずか3年で廃校となった。
- 跡地は揖斐川町立揖斐川中学校となっている。
沿革
[編集]- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 岐阜県立揖斐農林高等学校中部分校として開校。夜間定時制の農業科、家庭科を設置。校舎は旧・中部青年学校の校舎を使用する。
- 4月15日 - 仮入学式を行う。中部分校の生徒は女子のみであり、男子は本校に通学する。
- 7月4日 - 授業を開始。
- 11月24日 - 設置が認可される。男女共学となる。
- 8月23日 - 岐阜県立揖斐高等学校中部分校に改称する。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 廃校。廃校時の生徒は被服科4名。生徒は本校に新設された定時制農業科、被服科に転入する。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在の揖斐川町立揖斐川中学校敷地に該当
- ^ 岐阜県立の高等学校の定時制分校は、通称岐阜県方式という制度があり、岐阜県は指導と教員の派遣を行い、設置者は、設置場所の市町村または、周辺市町村による学校組合となり、運営と費用負担を行っていた。
出典
[編集]- ^ 創立50周年誌 岐阜県立揖斐高等学校 P.24。
参考文献
[編集]- 創立50周年誌 岐阜県立揖斐高等学校 (岐阜県立揖斐高等学校 1969年)
- 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年)