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岐阜県立中津高等学校加子母分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岐阜県立中津高等学校加子母分校
国公私立の別 公立学校
設置者 加子母村
設立年月日 1951年昭和26年)
閉校年月日 1974年(昭和49年)
共学・別学 男女共学
課程 定時制
設置学科 普通科
所在地 508-0421
岐阜県恵那郡加子母村3357[注釈 1]
ウィキポータル 教育
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岐阜県立中津高等学校加子母分校(ぎふけんりつなかつこうとうがっこうかしもぶんこう)は、かつて岐阜県恵那郡加子母村(現・中津川市加子母)にあった公立高等学校分校

概要

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中津高等学校の夜間定時制の分校であった。岐阜県立の高等学校の分校であったが、設置者は加子母村であった[注釈 2]

加子母中学校に隣接していた。

沿革

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  • 1951年昭和26年)
    • 1月28日 - 設置の認可を受ける。
    • 4月 - 恵那郡加子母村に岐阜県立岐阜中津高等学校加子母分校として開校。夜間定時制で普通科と家庭科を設置。校舎は加子母小学校の校舎の一部を使用する。
  • 1954年(昭和29年)
    • 4月 - 家庭科を廃止。
    • 5月21 - 加子母中学校の隣接地に独立校舎(木造2階建)が完成。
  • 1970年(昭和45年)
    • 6月 - 恵北高校設立推進協議会が発足。全日制高校の設置にあたり、「中津高等学校の3つの分校(福岡分校・加子母分校・付知分校)の廃校」「校地は3町村で用意する」などが決まる。
    • 11月 - 新設される全日制高校の名称が恵那北高等学校に決まり、校地が福岡町田瀬に決まる。校地決定のさいには、加子母村は恵那北高校から離れているため反対運動があったため、加子母分校の廃校を延期することとなる。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 募集を停止する。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 廃校。廃校時の生徒数は11名。

脚注 

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注釈 

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  1. ^ 現・岐阜県中津川市加子母3357。
  2. ^ 岐阜県の高等学校の定時制分校は、通称「岐阜県方式」という制度により、分校のある市町村や学校組合が設置者となり、運営と費用負担を行った。指導と教職員の派遣は岐阜県が行った。

出典

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参考文献

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  • 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.119
  • 加子母村誌 (加子母村誌編纂委員会 1972年) P.372 - 375

関連項目

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