岐阜市立加納小学校
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岐阜市立加納小学校 | |
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北緯35度24分4.59秒 東経136度45分42.9秒 / 北緯35.4012750度 東経136.761917度座標: 北緯35度24分4.59秒 東経136度45分42.9秒 / 北緯35.4012750度 東経136.761917度 | |
過去の名称 |
憲章学校・曲成義校 沓井小学校 加納小学校 加納尋常高等小学校 岐阜市立加納国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜市 |
設立年月日 | 1872年9月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121220100138 |
所在地 | 〒500-8488 |
岐阜県岐阜市加納西丸町一丁目73番地2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岐阜市立加納小学校(ぎふしりつ かのうしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市加納西丸町一丁目にある公立小学校。
概要
[編集]音楽教育の一環として、オペラが行われている。これは、4年生以上の合唱クラブと器楽クラブ、および6年生全員で行うものであり、1964年(昭和39年)から続けられている。毎年6月末に行われる研究会にあわせて上演されている。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年)9月 - 旧加納藩藩校「文武館」が起源である憲章学校と、加納藩内の寺子屋を起源とする曲成義校が開設される。憲章学校は士族、曲成義校は平民が入学したという。
- 1876年(明治9年) - 曲成義校が沓井小学校に改称される。
- 1879年(明治12年) - 憲章学校が加納小学校に改称される。
- 1895年(明治28年) - 沓井小学校と加納小学校が合併し、加納小学校となる。
- 1897年(明治30年)
- 1922年(大正11年) - 長刀堀(旧加納城の堀)プールができる。日本で最初の小学校プールといわれている。
- 1931年(昭和6年) - 加納第二尋常小学校を分離する。
- 1940年(昭和15年) - 稲葉郡加納町が岐阜市に編入される。岐阜市立加納尋常高等小学校に改称される。
- 1941年(昭和16年) - 岐阜市立加納国民学校に改称。校歌が制定される。(作詞:今井艦蔵・作曲:小松耕輔)
- 1947年(昭和22年) - 岐阜市立加納小学校に改称する。
- 1963年(昭和38年) - 現在の校歌が制定される。(作詞:サトウハチロー・作曲:高毛礼誠)
- 1966年(昭和41年) - 現在のプールが完成する。
- 1969年~1974年(昭和41年~49年) - 現在の校舎が完成する。
- 1981年(昭和56年) - 現在の体育館が完成する。
- 1984年(昭和59年) - 校歌碑が建てられる。
- 1995年(平成7年) - 小学校正門[1]が「岐阜の宝100選」に選ばれる。
- 2016年(平成28年) - 岐阜市内最古だった正門が取り壊され、新しい正門に建て替えられる。
通学区域
[編集]- 荒川町、加納朝日町1-3丁目、加納安良町、加納大石町、加納大手町、加納上本町1-3丁目、加納北広江町、加納清田町、加納沓井町、加納桜道1・2丁目、加納清水町5丁目、加納新町、加納新柳町、加納城南通1・2丁目、加納鷹匠町、加納鉄砲町1-5丁目、加納天神町1-4丁目、加納東陽町、加納徳川町、加納中広江町、加納長刀堀1-4丁目、加納西広江町1・2丁目、加納西丸町1・2丁目、加納二之丸、加納八幡町、加納花ノ木町、加納東広江町、加納東丸町1・2丁目、加納舟田町、加納本町1-4丁目、加納丸之内、加納御車町、加納南広江町、加納柳町、加納矢場町1・2丁目、渋谷町、中洲町、大倉町[2]。
進学先中学校
[編集]周辺施設
[編集]交通アクセス
[編集]- 岐南町線、尾崎団地線、北方河渡線などで行先表示の番号がE16・E17・E18の数字の便)「加納附属小学校前」より徒歩約5分。
脚注
[編集]- ^ 通称 赤門[要出典]
- ^ 岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則(岐阜市)