コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山崎章弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山﨑章弘から転送)
山崎 章弘
兵庫ブルーサンダーズ 監督 #66
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県和歌山市
生年月日 (1961-05-02) 1961年5月2日(63歳)
身長
体重
182 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 1979年 ドラフト2位
初出場 1986年6月28日
最終出場 1988年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

山崎 章弘(やまさき あきひろ、1961年5月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手捕手内野手、右投右打)、野球指導者

山﨑 章弘と表記されることもある[1]

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

育英高等学校時代には甲子園球場の全国大会に出場できなかったものの、公式戦で通算16本塁打を記録するなど、強打の捕手として知られた。

1979年のNPBドラフト会議で、読売ジャイアンツ(巨人)からドラフト2位指名を受けて入団。

現役時代

[編集]

1982年ジュニアオールスターゲームへ出場した。二軍のイースタン・リーグ公式戦では好成績を残していたが、当時の巨人は正捕手の山倉和博をはじめ捕手陣の層が厚く、一軍公式戦へのデビューは1986年にまで持ち越された。同年9月24日の対広島東洋カープ戦(後楽園球場)では、原辰徳津田恒実からファウルを打った際に手首を骨折したため、カウントの途中(2ストライク)から原の代打に起用されたが、1球を見逃しただけで三振を記録した(2ストライク後の代打起用だったため、三振の記録は原についた)。

1987年には、西武ライオンズとの日本シリーズ第2戦(西武球場)に「9番・指名打者」として先発出場したが、西武先発・工藤公康から1つの四球を選んだだけで無安打に終わった。1988年は7試合、1989年は出場無し。

1990年日本ハムファイターズへ移籍した。

1991年限りで現役を引退。1989年と1991年は内野手登録だった。

引退後

[編集]

引退後は日本ハムで二軍トレーニング兼打撃コーチ補佐(1992年 - 1994年)→二軍コンディショニングコーチ(1995年)→二軍バッテリーコーチ補佐兼コンディショニングコーチ補佐(1997年)→二軍バッテリー・コンディショニングコーチ補佐(1998年 - 1999年)→二軍コンディショニング・バッテリーコーチ(2000年 - 2001年)→二軍育成コーチ(2002年 - 2004年)、中日で二軍育成トレーニング兼ブルペン担当コーチ(2005年)→二軍ブルペン担当コーチ(2006年)を務めた。

2008年から2019年までは日本の独立リーグ数球団で監督やコーチを歴任し、2009年までは四国・九州アイランドリーグ高知ファイティングドッグスコーチを務めた。

2010年には関西独立リーグ (初代)神戸9クルーズの発足に伴ってコーチに就任した。

2011年からは後継球団の兵庫ブルーサンダーズ(現:兵庫ブレイバーズ)でコーチを務めた。2013年からは、兵庫の監督へ就任。チームの所属リーグが関西独立リーグからBASEBALL FIRST LEAGUE(現在の関西独立リーグ (2代目))へ変更されてからも、2016年まで4シーズンにわたって指揮を執った。監督在任中は、全てのシーズンでリーグ優勝(またはポストシーズンゲームへの進出)を果たした。ポストシーズンゲームでは、2013年から2年連続で06BULLSに敗退(2014年はシーズン優勝とポストシーズン勝者の両チームを年間優勝認定。2015年はポストシーズンゲームなし)。在任最終年の2016年に、最初で最後の勝利を収めた。なお、兵庫球団では、監督在任中に一貫して着用していた背番号66を、退任後にチームの永久欠番へ指定した[2]

2017年からは、出身の和歌山県内で新たに発足した和歌山ファイティングバーズの監督に就任[3]。発足と同時に加盟した関西独立リーグ (2代目)では、初年度こそ最下位であったが、2年目の2018年にリーグ優勝[4]および年間優勝[5]を達成した。

2018年シーズン終了後の11月27日に、契約期間満了を理由に和歌山の監督を退任[6]。同日付で兵庫の監督へ復帰すると[7]ともに、永久欠番として扱われていた背番号66を再び着用した。2019年にリーグ戦およびチャンピオンシップで優勝している[8][9]

2020年からは、巨人の巡回打撃コーチへ就任[10]。中日コーチの退任以来14年ぶりに、NPBの現場復帰を果たした。2021年10月6日に同年限りで退任することが発表された[11]

2022年からは女子野球チームの兵庫ブルーサンダーズで監督を務める[12]

家族

[編集]

長男(山﨑福之)・次男(山﨑福也)とも左投手で、高校生時代に甲子園球場での全国大会へ出場したほか、次男の福也は自身と同じくプロ野球選手になっている。

長男は聖望学園高校在学中に、野手として第80回選抜高等学校野球大会に出場。卒業後に国学院大学野球部を経てセガサミー硬式野球部でプレーを続けたが、2015年11月に現役を引退。次男の福也は、日大第三高校明治大学の投手として活躍した[13]後に、2014年度NPBドラフト会議にてオリックス・バファローズから1巡目指名を受けて入団。2023年にFAで日本ハムに移籍。親子にわたって日本ハムでプレーすることになった[14]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1986 巨人 15 15 15 1 6 1 0 0 7 1 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .400 .400 .467 .867
1987 22 21 20 2 6 3 0 0 9 6 0 0 0 0 1 0 0 7 1 .300 .333 .450 .783
1988 7 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .143 .143 .143 .286
通算:3年 44 43 42 3 13 4 0 0 17 7 0 0 0 0 1 0 0 11 2 .310 .326 .405 .731

年度別守備成績

[編集]
年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1986 3 0 0 0 ----

記録

[編集]
初記録

背番号

[編集]
  • 39(1980年 - 1989年)
  • 49(1990年 - 1991年)
  • 70(1992年 - 1995年、1997年 - 2004年)
  • 99(2005年 - 2006年)
  • 85(2008年 - 2009年)
  • 66(2011年 - 2019年、2022年 - )
  • 100(2020年 - 2021年)

脚注

[編集]
  1. ^ 鈴木監督、射手園コーチ退任と山﨑章弘監督就任のお知らせ」『兵庫ブルーサンダーズ』。2020年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月20日閲覧
  2. ^ 永久欠番について」『兵庫ブルーサンダーズ』2016年12月28日。2017年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月11日閲覧
  3. ^ 田辺の新球団監督に山崎氏」『紀伊民報』2016年11月1日。2016年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月4日閲覧
  4. ^ ファイティングバーズが優勝 野球独立リーグ」『紀伊民報』2018年9月28日。2018年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月29日閲覧
  5. ^ 野球独立リーグで和歌山優勝 CSで兵庫に逆転勝ち」『紀伊民報』2018年10月15日。2018年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月15日閲覧
  6. ^ 山﨑章弘監督退任のお知らせ」『和歌山ファイティングバーズ』2018年11月27日。2018年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月11日閲覧
  7. ^ 野球独立リーグ兵庫 監督に山崎氏復帰」『神戸新聞』2018年11月27日。2018年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月30日閲覧
  8. ^ 【リーグ戦1位が決定いたしました】」『関西独立リーグ』2019年10月4日。2021年6月11日閲覧
  9. ^ チャンピオンシップ 06ブルズ vs 兵庫BS 20191015 -花園」『東大阪バーチャルシティ』2019年10月17日。2019年10月19日閲覧
  10. ^ 山崎巡回打撃コーチの就任とコーチ背番号の変更について」読売巨人軍公式サイト、2019年11月8日。2021年6月11日閲覧
  11. ^ ファームコーチングスタッフの退任について」読売巨人軍公式サイト、2021年10月6日。2021年10月7日閲覧
  12. ^ 女子野球・兵庫の新監督に山崎章弘氏就任 前巨人巡回打撃コーチ」『日刊スポーツ』2022年1月11日。2022年1月11日閲覧
  13. ^ 明大・山崎が今季初登板、今秋ドラフト注目でスカウト11人集結」『サンケイスポーツ』2014年3月9日。2014年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月11日閲覧
  14. ^ 木下大輔「【日本ハム】山崎福也「ファイターズが一番成長させてくれるんじゃないか」縁と熱意と夢が決め手」『日刊スポーツ』2023年12月6日。2024年7月25日閲覧

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]