山霧丸
山霧丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨物船 |
クラス | 善洋丸級貨物船 |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 |
大洋興業 山下汽船 |
運用者 |
大洋興業 山下汽船 大日本帝国海軍 |
建造所 | 三菱重工業横浜船渠 |
母港 | 神戸港/兵庫県 |
姉妹船 | 善洋丸、慶洋丸、山月丸他3隻[1] |
信号符字 | JLNM |
IMO番号 | 44612(※船舶番号) |
建造期間 | 209日 |
就航期間 | 2,058日 |
経歴 | |
起工 | 1937年12月6日[1] |
進水 | 1938年5月13日[1] |
竣工 | 1938年7月2日[1] |
処女航海 | 1938年7月23日[1] |
除籍 | 1944年3月31日 |
最後 | 1944年2月18日被弾沈没 |
現況 | ダイビングスポット |
要目 | |
総トン数 | 6,438.83トン |
純トン数 | 4,823トン |
載貨重量 | 9,451トン |
排水量 | 13,815トン(満載) |
全長 | 139.0m |
垂線間長 | 133.92m |
型幅 | 17.76m |
型深さ | 9.75m |
高さ |
27.12m(水面からマスト最上端まで) 14.32m(水面からデリックポスト最上端まで) 8.22m(水面から船橋最上端まで) 10.66m(水面から煙突最上端まで) |
満載喫水 | 7.84m[1] |
主機関 | 三菱製MAN複動2サイクル蒸気噴油式ディーゼル機関 1基 |
推進器 | 1軸 |
出力 | 4,700BHP[2] |
最大速力 | 17.06ノット[2] |
航海速力 | 13.5ノット(満載)[1] |
航続距離 | 14ノットで47,000海里 |
1941年9月5日徴用。 高さは米海軍識別表[3]より(フィート表記)。 |
山霧丸 | |
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基本情報 | |
艦種 | 特設運送船 |
艦歴 | |
就役 |
1941年9月20日(海軍籍に編入時) 佐世保鎮守府部隊/佐世保鎮守府所管 |
要目 | |
兵装 |
40口径8cm砲1門 九二式7.7mm機銃1挺 三八式小銃5挺 軽便防雷具1組 |
装甲 | なし |
搭載機 | なし |
徴用に際し変更された要目のみ表記。 |
概要
[編集]山霧丸は東洋汽船、山下汽船および東洋海運向けに7隻が建造された善洋丸型の一隻で[4]、同型船は善洋丸、慶洋丸、山月丸、多摩川丸、淀川丸、加茂川丸[1]。
船歴
[編集]大洋興業は山下汽船に傭船される前提で山霧丸・山霧丸等の新造を決定し、三菱重工業横浜船渠に発注した[1][5]。山下汽船では1937年(昭和12年)10月に極東とニューヨーク・南米間の航路を開設し、同航路用の大型型貨物船を必要としていたからであった[6]。建造中、山霧丸は山月丸と共に山下汽船に売却された[2]。
山霧丸は1937年12月6日に起工[1]。1938年(昭和13年)5月13日に進水し[1]、同年7月2日に竣工[1]。船名は山下汽船所有船の「山○丸」という命名慣例に沿って命名された。竣工後は7月23日に神戸から処女航海に出発した[1]。
1941年(昭和16年)9月15日、山霧丸は海軍に徴傭され[1][7]、9月20日に佐世保鎮守府所管の特設運送船(雑用船)として入籍[8]。
1942年(昭和17年)1月、アンボン攻略に参加[9]。陸軍部隊を運ぶ輸送船が第一梯団となり、山霧丸を含む海軍輸送船6隻が第二梯団となった[10]。1月29日0時に第二梯団は第十六駆逐隊の護衛でバンカ泊地より出撃[11]。1月30日23時にヒトラマ泊地に進入し、呉鎮守府第一特別陸戦隊を上陸させた[12]。
9月から10月、陸軍部隊の南東方面への輸送(沖輸送)に従事[13]。山霧丸は佐伯発の第三船団の一隻であった[14]。第三船団は山霧丸と陸軍輸送船かんべら丸(大阪商船、6,477トン)、特設運送船藤影丸(山本汽船、4,004トン)からなり、駆逐艦暁、雷等の護衛で9月29日に佐伯より出発し[14]、10月10日にラバウルに着いた[15]。
1943年(昭和18年)8月25日、山霧丸は特設運送船(給炭油船)朝風丸(山下汽船、6,517トン)、海軍一般徴用船日遼丸(三菱汽船、2,721トン)、陸軍輸送船たこま丸(大阪商船、5,772トン)他輸送船1隻と共にオ605船団を編制し、第38号駆潜艇、第39号駆潜艇、第22号掃海艇の護衛を受けてラバウルを出港しパラオへ向かうが、27日午後、南緯01度49分 東経149度37分 / 南緯1.817度 東経149.617度のムッソウ島近海でアメリカ潜水艦ドラム(USS Drum, SS-228)の攻撃を受け、右舷2番・3番船倉の間付近に魚雷が命中し損傷[16][17]。山霧丸はラバウルに反転し、到着。同地での応急修理の後、12月2日に陸軍輸送船五星丸(興運汽船、1,931トン)他と共に船団を編制し[18]、ラバウルを出港してトラックへ向かった[16][19]。トラックには12月5日に到着[16]。修理を待つ間、山霧丸の船内では赤痢が蔓延した[19]。
1944年(昭和19年)2月17日、山霧丸はトラック島空襲に遭遇。山霧丸は翌18日の空襲で機関室に2発被弾し、沈没した[19]。乗員12名が戦死した[19]。同年3月31日除籍及び解傭[20]。
現在、山霧丸は秋島(フェファン島)の北、水深33メートルの地点で左舷を下に横転状態で沈んでおり、ダイビングスポットとなっている。2番船倉と3番船倉の間の右舷喫水線下に破孔がみられるが、そのほかは原型をとどめている。船倉内には戦艦用の35.6cm砲弾等がある。
監督官等
[編集]- 監督官
- 坂本正 大佐:1941年9月20日[21] - 1943年5月25日
- 指揮官
- 坂本正 大佐:1943年5月25日 - 1943年6月10日
- 松川晃 中佐:1943年6月10日[22] -
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「日本商船隊の懐古No.255」13ページ
- ^ a b c “山霧丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年5月6日閲覧。
- ^ Kamogawa_Maru_class
- ^ 『新造船写真史』58-59ページ
- ^ “山月丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年5月6日閲覧。
- ^ 『社史 合併より十五年』454-455、457ページ
- ^ #徴用船舶名簿(7)p.9
- ^ #内令昭和16年9月(3)p.50
- ^ 『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』226、232、234-235ページ
- ^ 『蘭印攻略作戦』381ページ、『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』226ページ
- ^ 『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』232ページ
- ^ 『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』234-236ページ
- ^ 『南東方面海軍作戦<2>』162-164ページ、『本土方面海軍作戦』115ページ
- ^ a b 『本土方面海軍作戦』115ページ
- ^ 『南東方面海軍作戦<2>』164ページ
- ^ a b c 山霧丸-近代世界艦船辞典-
- ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
- ^ “IJN YAMAGIRI MARU:Tabular Record of Movement”. 7 May 2023閲覧。
- ^ a b c d 『戦時艦船喪失史』202ページ
- ^ #内令昭和19年3月(5)p.36
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第716号 昭和16年9月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第1143号 昭和18年6月12日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091600
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『昭和18年6月1日現在 徴傭船舶名簿(海軍関係)/昭和18年6月1日現在 徴傭船舶名簿(海軍関係)(7)』。Ref.C08050008400。
- 『昭和16年9~10月 内令3巻/昭和16年9月(3)』。Ref.C12070153000。
- 『昭和19年1~7月 内令/昭和19年3月(5)』。Ref.C12070196900。
- 池川信次郎、三好誠(監修)『戦時艦船喪失史』元就出版社、2004年、ISBN 4-86106-014-1
- 防衛庁防衛研修所戦史室『蘭印攻略作戦』戦史叢書3、朝雲新聞社、1967年
- 防衛庁防衛研修所戦史室『蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』戦史叢書26、朝雲新聞社、1969年
- 防衛庁防衛研修所戦史部『南東方面海軍作戦<2>ガ島撤退まで』戦史叢書83、朝雲新聞社、1975年
- 防衛庁防衛研修所戦史室『本土方面海軍作戦』戦史叢書85、朝雲新聞社、1975年
- 三菱重工業株式会社横浜造船所(編)『新造船写真史』三菱重工業横浜造船所、1981年
- 山下新日本汽船株式会社社史編集委員会(編)『社史 合併より十五年』山下新日本汽船、1980年
- 山田早苗「日本商船隊の懐古No.255」船の科学 第53巻第10号(No.624)、12-13ページ
外部リンク
[編集]- 1/700戦時輸送船模型集:山霧丸 - 岩重多四郎による戦時状態の再現模型
- 69年前の戦場へトラック諸島でDIVE!~特設運送船 山霧丸(YAMAGIRIMARU)~
- “山霧丸”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年10月23日閲覧。