コンテンツにスキップ

山際順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山際順
やまぎわ じゅん
生年月日 1908年2月15日
出生地 日本の旗 日本 長野県
没年月日 不明
出身校 長野県上高井農学校卒業
前職 須坂市助役
所属政党 無所属

第3・5代 須坂市長
当選回数 4回
在任期間 1960年1月24日 - 1968年1月23日
1976年1月24日 - 1984年1月23日
テンプレートを表示

山際 順(やまぎわ じゅん、1908年明治41年)2月15日[1][2] - 没年不明)は、大正末から昭和期の教育者、地方公務員政治家長野県須坂市長(4期)。

来歴

[編集]

長野県出身[1]1923年大正12年)3月に長野県上高井農学校[注釈 1](現・長野県須坂園芸高等学校)を卒業[1]1924年(大正13年)より上高井郡豊丘尋常高等小学校[2][注釈 2]に勤務し、1942年昭和17年)まで県内の小学校、青年学校の教諭を務める[2]

その後、長野県庁に入庁し、西筑摩地方事務所長、1950年(昭和25年)人事委員会事務局長、1957年(昭和32年)社会部厚生課長などを歴任した[2]

1958年(昭和33年)5月、須坂市助役に転じ、田中邦治市長の病気退任に伴い、推されて1960年(昭和35年)1月、須坂市長に当選し同月24日に就任した[2]1968年(昭和43年)1月まで2期在任[1][2]。1968年の選挙では3選を目指したが、松沢令之助に敗れた[4]。同年1月23日に退任した[2]

1976年須坂市長選挙

[編集]

1976年(昭和51年)1月18日の市長選挙に立候補して、前に敗れた松沢令之助との激戦を制して当選し、同年1月24日に再び市長に就任した[1][5][6]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
山際順67無所属15,635票50.5%-
松沢令之助74無所属14,466票46.7%-
丸田喜一49日本共産党877票2.8%-

1980年須坂市長選挙

[編集]

1980年(昭和55年)の市長選に立候補して、社会党推薦の新人を破って4選を果たした[7]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
山際順71無所属16,628票51.8%-
永井順裕46無所属15,487票48.2%社会推薦

1984年(昭和59年)1月23日まで2期務め市長に通算4期在任した[5]

市長として

[編集]

任期中、新市建設計画に則り、市道の改良整備、須坂温泉、須坂市営動物園・博物館の建設、常備消防の設置、須坂市民会館、新市庁舎の新築、工場誘致条例制定による工場団地の造成と工場誘致、小学校の新設などを進め、従前の生糸の町から機械工業の町への転換を図った[2][5]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『日本の歴代市長 第2巻』276頁では上高井農学校。
  2. ^ 1924年当時は園里尋常高等小学校。1930年に豊丘尋常高等小学校に改名。現、須坂市立豊丘小学校[3]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 『現代人物事典: 出身県別 東日本版』833頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長 第2巻』276頁。
  3. ^ 学校沿革 - 豊丘小学校”. www.toyooka-school.ed.jp. 2024年7月27日閲覧。
  4. ^ 長野県政史 別巻 239コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c 『日本の歴代市長 第2巻』277頁。
  6. ^ 国民自治年鑑 1977年版 36コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 国民自治年鑑 1981年版 65コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

[編集]
  • 『現代人物事典: 出身県別 東日本版』サン・データ・システム、1980年。
  • 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。