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山辺知春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山辺 知春(やまべ ともはる、1873年明治6年)12月6日[1] - 1936年昭和11年)11月21日[2])は、日本宮内官僚教育者

経歴

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福島県人の山辺知一の子。1898年(明治31年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[3]。一年志願兵として陸軍歩兵少尉となり、その後中等教育に従事した[1]1903年(明治36年)、北白川宮成久王の教育掛となり、1910年(明治43年)より北白川宮家家令を務めた[1]。その後宮内事務官・式部官を務めた[1]1922年大正11年)、秩父宮別当に就任し、1926年(大正15年)からは北白川宮永久王美年子女王佐和子女王多恵子女王の保育係を務めた[3]1930年(昭和5年)、宮中顧問官に就任し、北白川宮家別当となった[3]。昭和11年11月21日卒去。墓所は青山霊園立山墓地。

著書

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  • 『中学修身教授提要』(大日本図書、1902年)

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信録 第5版 1918.
  2. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  3. ^ a b c 大衆人事録 1930.

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。